聚義録

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初学者向け『水滸伝』関連図書2:佐竹靖彦『梁山泊 水滸伝・108人の豪傑たち』(1)

 今回も比較的手に取りやすい『水滸伝』関連図書を紹介したいと思います。

 今回紹介するのは佐竹靖彦『梁山泊 水滸伝・108人の豪傑たち』(中央公論社中公新書)、1992)です。佐竹氏は東洋史研究者ですが、『水滸伝』に関する論文も数本出しています。他の文学作品についての専論は管見の限り見られないので、佐竹氏は『水滸伝』に特に関心があったのかもしれません。論文検索サイトCiNiiで検索する限り宋代史に関する論文も多いようなので、それも関係あるのかもしれませんね。

 この記事を書くために本書を改めて手に取って気付きましたが、本書のタイトルには「りょうざんはく」とルビが振られています。私個人は「りょうざんぱく」と読んでいますが、どちらでも構わないと思います。

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 本書の章立ては以下のようになっています。

  第一章 水滸伝の舞台

  第二章 水滸伝の構成

  第三章 水滸伝のライン・アップとその変化

  第四章 水滸戯と二人の羅漢中

  第五章 小役人宋江から大豪傑宋江

  第六章 魯智深李逵

  第七章 公孫勝と大遼討伐

  第八章 美女と刺青――一丈青扈三娘のこと

  第九章 九天玄女と宿元景

 

 ある文学作品を研究しようとする際、その切り口はいくらでもあります。その作品の作者について掘り下げてもいいですし、作中人物の人物像について論じることもできます。その作品が社会・読者にどのように受容・評価されたか研究することも可能ですし、メディアミックスや二次創作といった視点から切り込んでも構いません。

 本書は様々な視点から論じられています。第一章は作品に描かれる舞台について、第二章は作品内容の構成や版本について、第三章は登場人物の先行資料との比較、第四章はメディアミックスの状況や作者について述べ、第五章以降はそれぞれのキャラクターについて詳細に論じています。それだけでも本書が非常に充実していることが分かるかと思います。

 また白話小説研究の切り口について知りたい方は、金文京『三国志演義の世界【増補版】』(東方書店(東方選書)、2010)が非常に参考になりますのでオススメです。

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 さて、本来であれば第一章から順番に読み進めていくのが良いのですが、今回からはこれらの中からキャラクター論の視点から論じている箇所、特に梁山泊のリーダーである宋江を取り上げた第五章(pp.77-95)の内容を紹介していきたいと思います。

 皆さんは宋江についてどのようなイメージをお持ちでしょうか。背が小さくて風采があがらない、気弱で泣いてばかりいる、武芸の腕もイマイチ・・・こういった印象を抱いている方も少なくないでしょう。佐竹氏に限らず、多くの研究者も宋江に対しては非常に辛辣な評価をしています。本章第一節「宋江は得体の知れない男である」(pp.77-79)は以下のように始まります。

 

 宋江は理解しがたい男である。水滸伝を読んで宋江を理解しかれに共感を示すものは、ほとんど皆無であろう。小川環樹氏は「公平に見れば宋江は憎むべき人物というほどではない。ただ、あまり愛すべき人間でないことは確かである」(『中国小説史の研究』岩波書店*1)といい、宮崎市定氏もまた「宋江という人間はまったく得体の知れぬ、おかしな人物である」*2という。何が理解しがたいのか一言で言えば、血沸き肉踊る大活躍を演じる梁山泊の豪傑たちの総大将であるにもかかわらず、英雄豪傑らしいところがまったくないのである。高島俊男氏にいわせると宋江は「卑劣で陰険で」「何一つとしていいところはない」(『水滸伝の世界』大修館書店、一九八七*3)。まず弱い、そして意気地なしである。・・・(略)・・・つぎに短慮で血のめぐりがわるい。風采があがらない。ちびのくせに太っていてしかも色が黒く、ぜったいに英雄好漢たる基準に適合しない云々。(pp.77-78)

 

 思わず笑ってしまうほど辛口な評価です。宋江がこのような人物であるということは、『水滸伝』を読んだことがある方であればある程度は納得できるかと思います。ではこのような宋江梁山泊の総大将になり得た理由は何なのでしょうか。佐竹氏は高島氏の見解を引いています*4

 

〈理由①〉

 『水滸伝』の物語が北宋末に実際に存在した「宋江三十六人」と呼ばれる盗賊団についての話としてできあがっていたので、あとでいくらすごい人物が登場しても総大将にはなれなかったため。

 

 『水滸伝』の成立史を辿る基本資料として『宋史』が挙げられます。『宋史』巻351侯蒙列伝には、侯蒙が「江以三十六人横行齊魏、官軍數萬無敢抗者、其才必過人(宋江は三十六人を用いて斉・魏に横行しており、数万の官軍で対抗しようとする者はおらず、その人材は必ず秀でています)」と上書したという一節が見られます。そもそも史実として宋江をトップとした「三十六人」の記載が見え、これが語り継がれて最終的に現行の『水滸伝』の形になりました。

 この36人の顔ぶれが初めて登場するのは、宋末元初の人である周密『癸辛雑識』に見える龔聖与「宋江三十六賛」です。その後、元曲や『大宋宣和遺事』にも36人への言及が見られますが、その顔ぶれが確定していたわけではありませんでした。しかしながら、いずれにおいてもその筆頭に据えられているのは「呼保義宋江」です。史実に端を発した水滸物語において、宋江の立ち位置だけは固定的でした。そのため『水滸伝』においてもその他の人物が総大将とはなり得なかったというわけです。特に天罡星36人のメンバーについては本書第三章「水滸伝のライン・アップとその変化」でより詳しく論じされています。

 

〈理由②〉

 おおらかで、自分より勝れた男にたいする警戒心がまったくないので勝れた人材を拒まなかったため。

 

 宋江のキャラクターについて、宮崎氏も高島氏と同様の評価をしていますが、佐竹氏はこの点については疑問を抱いています。

(引用者注:高島・宮崎両氏の)このような意見はなるほどもっともであるが、それでもしっくりしないところは残る。わがくにでも、源義経が、ちびで反歯の貧弱な男であったという説があるが、歌舞伎の源義経はそういうわけにはいかないのである。かりに、歴史上の宋江がちびで色黒で太っていても、水滸伝の総大将としての宋江をもっと豪傑らしく描いていてもなんの不都合もない。

 また、宋江はたしかにやがて自分の配下になるべく予定されている豪傑たちに対しては、まことに競争心がなく腰が低いが、それがかれの本当の人格かと問われると、くびをかしげざるをえないのである。(pp.78-79)

 

 両氏の見解に疑問を抱いた佐竹氏は、宋江像の原型を探るため、宋江の閻婆惜殺しのエピソードと、宋江の渾名である「呼保義」という二つの観点から検証を進めていきます。

 さて今回はここまで。次回は閻婆惜殺しに関する佐竹氏の検証について読み進めていくことといたしましょう。

 

ぴこ

*1:小川環樹『中國小説史の研究』、岩波書店、1968、p.47参照。

*2:宮崎市定水滸伝――虚構のなかの史実』、中央公論新社、2017改版、p.37参照。

*3:高島俊男水滸伝の世界』、筑摩書房、2001、p.29・31参照。

*4:注3高島氏前掲書、pp.28-44参照。高島氏は宋江が総大将たり得た要因として〈理由①〉について述べ、宋江の唯一の取り柄として〈理由②〉を挙げています。他にも宋江が総大将になることができた要因と考えられるものとして「山東の及時雨の名が全国に広まっていたため」、「九天玄女から天書を与えられたため」といった点を挙げていますが、自身でその可能性を否定しています。同様の内容が高島俊男水滸伝人物事典』(講談社、1999)、p.330にも見られます。

初学者向け『水滸伝』関連図書1:井波律子『中国の五大小説』(2)

 前回に引き続き、井波律子氏の『中国の五大小説』(岩波書店岩波新書)、2009)の「はじめに」の続きを読んでいきましょう。

 

いずれにせよ、『水滸伝』もまた『演義』や『西遊記』と同様、初回から最終回まで、一回ずつ区切りながら、鎖状に回を連ね語りすすめる「章回小説」の形式をとる。注目されるのは、『水滸伝』がこのスタイルを最大限に活用し、百八人の豪傑を有機的に結びつけながら、次々に「数珠繫ぎ」形式で登場させ、緊密な物語世界を形づくっていることである。 (「はじめに」、p.ⅱ)

  「回」や「章回小説」については、前回簡単に解説しました。更にここで井波氏が評価しているのは、各回の有機的な繋がり、作中人物の登場の連鎖性です。

 『水滸伝』は登場人物が非常に多い作品です。登場人物が多いことは物語の展開を豊富にしますが、一方で人物の登場や展開の自然さに気を配る必要が出てきます。そもそも『水滸伝』では必ずしも特定の人物ひとりが固定的に中心に据えられて物語が進行するわけではありません。特に好漢たちが集結するまでの間は様々な物語が同時並行的に進行し、それぞれのストーリーごとに主人公格の人物が変わります。『水滸伝』が度々中国の正史の「列伝」に喩えられるのも、このような構成をとっているためです。ある好漢が次の好漢と出会い、更にその次の好漢が登場する・・・というように人物が「数珠繋ぎ」になって次々と登場して物語が展開していきます。物語の序盤の展開を少しだけ紹介しましょう。

 

 北宋・仁宗の時代、首都の開封では疫病が流行していました。そこで大将軍・洪信を勅使に任じ、祈祷のために張真人を呼び寄せるように命じました。洪信は任務の途中、僧侶の制止を振り切って無理やり「伏魔殿」の封印を解き、そこに封印されていた108の魔王(36の「天罡星」と72の「地煞星」)を解き放ってしまいました。

 舞台は数十年後の徽宗の時代に移り、好漢たちが登場し始めます。当時の朝廷には「四奸」と呼ばれる四人の奸臣が権勢を振るっていました。武術師範の王進は、四奸のひとりである高俅に逆恨みされ、母を連れて開封から逃げ出します。その後、王進が宿をとったのが史家村の庄屋で、庄屋の息子・九紋龍史進は王進に師事し、武芸を磨くことになります。史進こそが最初に出てくる梁山泊好漢です。王進は史家村を去り、水滸物語から退場します。

 王進退場後、史進は史家村近くの少華山の盗賊である朱武ら三人の好漢と出会い、それが原因で追われる身となってしまいます。史進はこれを機に、師である王進を捜す旅に出ます。渭州に到着した史進は、渭州で提轄を務める魯達と知り合い、更にはかつて師事した打虎将李忠と再会します。しかし、三人が酒を飲んでいると隣の部屋から金翠蓮父娘の泣き声が聞こえてきます。魯達は二人を呼びつけて事情を聞き、彼らが肉屋の鄭屠(鎮関西)に金をゆすられていることを知りました。義憤に怒った魯達は鄭屠のもとへ行き、暴れ回った結果、意図せず彼を殴り殺してしまい、渭州から逃亡します。

 ここでひとつ、魯達が鄭屠を殺してしまう場面の描写が非常に面白いので引用します。

一発殴ると、鼻に命中し、鮮血がドッと流れて、鼻は片方に歪んでしまい、たちまち醤油屋を開いたように、しょっぱいの、すっぱいの、辛いのが、一度にあふれ出てきた・・・(略)・・・魯達は「クソ泥棒め、まだ口ごたえするか!」と罵り、拳骨をふりあげて、目のふち、眉じりに一発食らわせると、目のふちが破れて、目玉が飛びだし、呉服屋を開いたように、紅いの、黒いの、臙脂色のが、すべてあふれ出てきた・・・(略)・・・魯達は「こらっ!おまえはごろつきだ。わしととことんまでやり合うなら、許してもやるが、どんなに許してくれと言っても、わしはおまえを許さん」と怒鳴りつけ、また一発拳骨をこめかみに命中させた。と、施餓鬼をしたように、磬(けい)や鈸(ばち)や鐃(どら)が、いっせいに鳴り響いた。魯達が見ると、鄭は地面にのびており、口から出る息はあるが、入る息はなく、ピクリとも動かない。(井波律子訳『水滸伝(一)』、講談社学術文庫、2017、p.131)

 このように、殴られた鄭屠の様子を、味覚・視覚・聴覚を使って豊かに表現しています。非常にユーモアに満ちた描写だと思います。 

 鄭屠を殺してしまった魯達は罪人として指名手配され、各地を逃げ回った後、金翠蓮父娘と再会します。金翠蓮は金持ちの趙員外のもとにいました。趙員外は魯達に五台山文殊院の智真老人を紹介し、魯達は出家し「魯智深」と名を変えました。しかし、元々気性の荒い魯智深は狼藉を繰り返し、五台山を追放されて開封相国寺へと移ることになりました。そこでたまたま豹子頭林冲と出会い、意気投合した二人は義兄弟の契りを結びます。

 この後、物語は林冲の話に移ります。高俅の息子・高衙内が林冲の妻に横恋慕したことを機に、高俅は林冲を奸計に嵌めて流刑とし、護送中に殺害しようと画策します。林冲が死の覚悟を決めた瞬間、魯智深が現れて林冲は一命を取り留めます。

 以上のように、『水滸伝』は人と人との繋がりによって物語が次々と展開していきます。ちなみに梁山泊のリーダーである宋江が登場するのは第18回で、それまでは史進魯智深林冲晁蓋などが中心となり、めまぐるしく話が進みます。ひとつひとつのストーリーは決して無理やり繋げられているということはなく、自然な展開であるという印象を受けます。

 上記の内容は本書第1章第1節「幕開きは語り物のスターから――魯智深林冲登場」でより詳しく解説されています。本書では物語の冒頭から好漢の退場までの展開を分かりやすく解説していますので、「とにかく『水滸伝』の粗筋を知りたい」という方にはとてもオススメです。

 

 「はじめに」の『水滸伝』に関する記述の最後では、好漢を結び付ける精神について述べています。

こうして形づくられる水滸伝世界において、なにより重視されるのは「俠の世界」であり、百八人の豪傑が集う梁山泊は、俠の倫理が貫徹する運命共同体にほかならなかった。このように男どうしの関係性を最重視する水滸伝世界の倫理観は爽快そのものだが、反面、女性に対しては過剰に潔癖であり、ほとんど女性嫌悪の様相を呈している。というのも、男といっていい梁山泊集団の女将を除けば、登場する女性は豪傑たちに一刀両断されてもしかたのない、極めつきの「悪女」ばかりなのだ。つまるところ、『水滸伝』には、「女性的なるもの」はすべからく「悪」であり、排除されて当然だという倫理観が厳然と存在するといってもよかろう。(「はじめに」、p.ⅱ) 

  好漢は互いに義兄弟の契りを結び、「俠」の精神に強く結び付けられています。仲間のためであればどんな危険をも冒し死を厭わないこの精神は『水滸伝』の基盤を形成しています。しかし、一方でそれは女性嫌悪の傾向を強めています。もちろん妻帯し家族を持つ好漢も少なくありませんが、その場合妻に関する描写はほとんどなく、妻や女性に対してスポットが当てられる場合は大抵が悪女と言えます。代表的な人物は、武松の嫂・潘金蓮や楊雄の妻・潘巧雲、盧俊義の妻・賈氏などが挙げられます。他にも宋江の妾・閻婆惜や白秀英など、スポットの当てられる女性は大抵その悪女さが強調されて描かれます。林冲の妻・張氏のように、その貞節が強調され好意的に描かれるのは例外的であると言えるでしょう。

 好漢は女色を好むべきではないという考えは、好漢たちの共通認識であったようです。しかし、矮脚虎王英だけはその好色さが際立って描かれます。王英の女好きの様子を目の当たりにした宋江は「原來王英兄弟要貪女色、不是好漢的勾當(もともと王英兄弟は好色なのだね、好漢のやることではない)」と苦言を呈します〈第32回〉。その後王英は、宋江の取り計らいで一丈青扈三娘と結婚し、それ以降王英の好色さが描かれることはなくなります。一方で宋江はと言うと、「原來宋江是箇好漢、只愛學使鎗棒、於女色上不十分要緊(もともと宋江は好漢で、鎗や棒を使うことばかりを好み、女色にはそんなに熱心ではなかった)」といった人物で、女性に対し淡白であったと描かれます〈第21回〉。閻婆惜殺しが起こってしまったのも、宋江のこの性格が原因のひとつにあったのでしょう。他にも、例えば盧俊義が女性に淡白であった点と妻・賈氏の不倫との因果関係について、金聖嘆は示唆的な評語を残しています。このように好漢の女性に対する考え方が事件を引き起こしている場合もあり、『水滸伝』のストーリーを一層豊かにしていると言えるでしょう。

 

 ここまで2回に亘って井波律子『中国の五大小説』の「はじめに」を取り上げて『水滸伝』の基礎知識や作品内容について紹介しました。訳本はもちろん、井波氏は他の本でも『水滸伝』に触れています。 

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 様々な角度から『水滸伝』の面白さを語り尽くしたものとしては『水滸縦横談』(潮出版社、2013)という本があります。『水滸伝』で描かれる個々の人物や事柄についてもっと幅広く知りたい方にはオススメです。どうやら昨年文庫版も出たようです。

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 「俠」の精神に特化したものに『中国俠客列伝』(講談社講談社学術文庫)、2017)があります。本書は春秋戦国時代から清代まで、「俠」で知られる人物を紹介しています。

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 最後に『トリックスター群像』(筑摩書房、2007)を紹介します。本書は『水滸伝』『三国志演義』『西遊記』『金瓶梅』『紅楼夢』の作品に描かれるトリックスター(秩序を攪乱する存在)を題材にしています。『水滸伝』のキャラクターのうち、特に李逵については紙幅を割いて述べています。

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 井波氏の著書は『水滸伝』に関するものに限らず、とても面白いものばかりです。新書や文庫など手に取りやすいものも多いので、興味の湧いた方は是非読んでみてはいかがでしょうか。

 

ぴこ

初学者向け『水滸伝』関連図書1:井波律子『中国の五大小説』(1)

 本ブログの最初の記事は、初学者向け『水滸伝』関連図書を紹介しようと思います。「そもそも『水滸伝』って何なの?」「少しは知ってるけど詳しくは…」といった方でも比較的取っ付きやすく、粗筋を知るのに有用な本があります。

 非常に著名な中国古典文学研究者の井波律子氏は『水滸伝』に関する本をいくつも執筆されています。近年では『水滸伝』『三国志演義』の訳本を次々と出版したことでも知られていますが、昨年亡くなり、研究者や読者など多くの方がその死を悼みました。私自身も井波氏の著書に大きな感銘を受けた一人であり、大変ショックを受けました。

 井波氏の著書の中から、今回は『中国の五大小説』(岩波書店岩波新書)、2009)を用いて、『水滸伝』について簡単に紹介したいと思います。本書は上下2冊に分かれており、上巻は『三国志演義』『西遊記』を、下巻は『水滸伝』『金瓶梅』『紅楼夢』を扱っています。

 そもそも『水滸伝』とはどのような作品で、どのように出来上がったものなのか、本書の「はじめに」に分かりやすくまとめられています。

 まず『水滸伝』が成立した経緯については次のように述べられています。

 『水滸伝』は『演義』(引用者注:三国志演義)や『西遊記』と同様、宋代から元代にかけ、講釈師が聴衆を前にして語った連続長篇講釈を母胎とする作品である。『水滸伝』が白話長篇小説として成立したのは『演義』と同時期、十四世紀中頃の元末明初だが、その語り口は『演義』や『西遊記』に比べると、はるかに盛り場演芸である「語り物」の臨場感をとどめている。(「はじめに」、p.ⅰ)

 宋代は大衆娯楽が発展した時代で、都市には盛り場(瓦子:がし)が開かれていました。そこでは講釈師が様々な物語を民衆に語って聴かせていました。もしピンと来なければ、講談や紙芝居屋をイメージしていただければ良いかと思います。講釈師の語る内容にはいくつもジャンルがあり、それぞれに専門の講釈師がいました。彼らの語る内容は後にテキスト(話本)として刊行されました。話本は数種現存しており、その中に北宋徽宗皇帝の時代を描く『大宋宣和遺事(だいそうせんないじ)』があります。これこそが『水滸伝』の源流とされる作品です。

 

 続いて、物語の内容と刊行された版本(テキスト)について述べられています。

水滸伝』は長らく写本の形で流通し、現存する最古のテキストが刊行されたのは、完成後二百年あまりも経過した、明末の万暦年間(一五七三―一六二〇)だった。これは全百回から成り、三十六の「天罡星」と七十二の「地煞星」から生まれかわった豪傑が、続々と「梁山泊」に集って大軍団を形成し、官軍を向こうにまわして激戦をくりかえしたあげく、北宋朝廷に招安(帰順すること)され、遼征伐、方臘征伐をへて、ついに壊滅する波乱万丈の過程を描きあげている。ちなみに、『水滸伝』には種々の刊本があり、百回本のほか百二十回本、七十回本などがある。 (「はじめに」、p.ⅰ) 

 『水滸伝』の粗筋が簡潔にまとめられています。『水滸伝』では108人の豪傑が様々な運命に導かれて落草(盗賊になること)・集結し、官軍と戦います。その後、招安を受けたものの、最後には好漢の多くが非業の死を遂げ、散り散りとなってしまうという悲しい結末で締めくくられます。

 

 また、井波氏がここで述べる万暦年間のテキストというのは、容与堂が刊行した「容与堂(ようよどう)本」です。記載年から1610年に刊行されたと考えられていますが、この点については疑問も残っています。容与堂本より古いもので嘉靖年間の「嘉靖本」というものがありますが、ごく一部しか残っておらず、いずれにせよ現時点での最古の完本は容与堂本とされています。

 細かい点はひとまず抜きにして、『水滸伝』の主要版本は成立年代順に「百回本」「百二十回本」「七十回本」に大別されます。内容の違いは以下の通りです。

 

百回本  :好漢集結→招安→遼征伐          →方臘征伐→好漢退場

百二十回本:好漢集結→招安→遼征伐→田虎征伐→王慶征伐→方臘征伐→好漢退場

七十回本 :好漢集結

 

 このように各版本で内容は大きく異なっています。特に明末清初の文人・金聖嘆が編纂した七十回本は、好漢たちが集結したところで突如打ち切られ、最後は夢落ちという形式が取られます。招安以降の展開が描かれないのは、盗賊である梁山泊の存在を是としない金聖嘆自身の強い思想によるものです。後世の中国で最も流通したのが七十回本だと言われています。

 

 そもそも「回」とは何なのでしょうか。講釈に端を発する白話小説の多くが数多くの「回」に分けられています。テレビアニメやテレビドラマをイメージしてみてください。それらは第1話、第2話、第3話・・・とストーリーが進展していきます。それと同じように、講釈師は何十回にも分けてひとつの物語を語っていたのです。現代と同様、盛り上がる場面になるとここぞとばかりに「さて続きは次回」と締めくくります。これは次回以降も聴衆を呼び込むための手法なのでしょう。読み物になってもそれは同じで、多くの回に分けられ、各回の末尾には「且聴下回分解(さてどうなるかは次回のお楽しみ)」という決まり文句が置かれています。このような形式を持つ白話小説を「章回小説」と呼びます。時代が下り『水滸伝』に新たな版本が出るにつれて、読み物である小説から語り物の要素を除こうという試みの形跡も見受けられます。この点についてはいずれ論文紹介などで扱う予定です。

 

 ちなみに版本と言えば、2018年の東京古典会古典籍展観大入札会に所謂「天都外臣本(石渠閣補刊本)」という容与堂本と嘉靖本の中間に位置するとされるテキストが出品され、平田昌司氏が入手しました。現存すら疑問視されていたこの版本の登場は、日本の『水滸伝』研究に大変大きな衝撃を与え、それ以降一気に研究が進んでいます。この版本についても、また改めて紹介します。

 日本の『水滸伝』版本研究は非常に盛んです。版本研究は文学研究の基礎といっても過言ではありません(そもそも研究に使用する版本自体に問題があれば、そのテキストに基づいて論じても十分には価値が担保されません)。一見地味と思われがちですが、文学研究に寄与するところの非常に大きい研究分野だと思います。

 

 さて今回はここまで。次回に続きます。

 

ぴこ

はじめに:聚義録再始動

 皆様、はじめまして。ぴこと申します。

 

 私は中国古典文学を専攻している大学院生です。明代に成立した白話(口語体)小説『水滸伝(すいこでん)』を主な研究対象とし、日々勉学に努めています。

 

  以前、別のサイトで「聚義録」を運営していました。しかしその形式から、自ら何かを発信するには少々不便であると感じていました。そういったこともあり、この度はてなブログへ移行し、ここで再始動することに決めました。

 

 新年度、中国文学の世界に初めて足を踏み入れる方も少なくないかと思います。たとえ学生でなくとも、中国文学に興味があるという方もいるでしょう。しばらくは『水滸伝』関連の書籍や論文などを紹介し、『水滸伝』やその研究について少しでも知っていただけたらなどと漠然と考えています。発信を通じて、私自身の知識の整理やスキルアップになればとも思っています。とはいえ、更新内容・更新頻度はまだまだ未定です。その時々の気の向くままに書いていきます。また、記事内容は所属機関などとは一切関係ありませんので、ご承知おきください。

 

 もしご要望などございましたら、コメント欄にお願いいたします。どうぞよろしくお願いいたします。

 

ぴこ