聚義録

毎月第1・3水曜日更新

初学者向け『水滸伝』関連図書1:井波律子『中国の五大小説』(2)

 前回に引き続き、井波律子氏の『中国の五大小説』(岩波書店岩波新書)、2009)の「はじめに」の続きを読んでいきましょう。

 

いずれにせよ、『水滸伝』もまた『演義』や『西遊記』と同様、初回から最終回まで、一回ずつ区切りながら、鎖状に回を連ね語りすすめる「章回小説」の形式をとる。注目されるのは、『水滸伝』がこのスタイルを最大限に活用し、百八人の豪傑を有機的に結びつけながら、次々に「数珠繫ぎ」形式で登場させ、緊密な物語世界を形づくっていることである。 (「はじめに」、p.ⅱ)

  「回」や「章回小説」については、前回簡単に解説しました。更にここで井波氏が評価しているのは、各回の有機的な繋がり、作中人物の登場の連鎖性です。

 『水滸伝』は登場人物が非常に多い作品です。登場人物が多いことは物語の展開を豊富にしますが、一方で人物の登場や展開の自然さに気を配る必要が出てきます。そもそも『水滸伝』では必ずしも特定の人物ひとりが固定的に中心に据えられて物語が進行するわけではありません。特に好漢たちが集結するまでの間は様々な物語が同時並行的に進行し、それぞれのストーリーごとに主人公格の人物が変わります。『水滸伝』が度々中国の正史の「列伝」に喩えられるのも、このような構成をとっているためです。ある好漢が次の好漢と出会い、更にその次の好漢が登場する・・・というように人物が「数珠繋ぎ」になって次々と登場して物語が展開していきます。物語の序盤の展開を少しだけ紹介しましょう。

 

 北宋・仁宗の時代、首都の開封では疫病が流行していました。そこで大将軍・洪信を勅使に任じ、祈祷のために張真人を呼び寄せるように命じました。洪信は任務の途中、僧侶の制止を振り切って無理やり「伏魔殿」の封印を解き、そこに封印されていた108の魔王(36の「天罡星」と72の「地煞星」)を解き放ってしまいました。

 舞台は数十年後の徽宗の時代に移り、好漢たちが登場し始めます。当時の朝廷には「四奸」と呼ばれる四人の奸臣が権勢を振るっていました。武術師範の王進は、四奸のひとりである高俅に逆恨みされ、母を連れて開封から逃げ出します。その後、王進が宿をとったのが史家村の庄屋で、庄屋の息子・九紋龍史進は王進に師事し、武芸を磨くことになります。史進こそが最初に出てくる梁山泊好漢です。王進は史家村を去り、水滸物語から退場します。

 王進退場後、史進は史家村近くの少華山の盗賊である朱武ら三人の好漢と出会い、それが原因で追われる身となってしまいます。史進はこれを機に、師である王進を捜す旅に出ます。渭州に到着した史進は、渭州で提轄を務める魯達と知り合い、更にはかつて師事した打虎将李忠と再会します。しかし、三人が酒を飲んでいると隣の部屋から金翠蓮父娘の泣き声が聞こえてきます。魯達は二人を呼びつけて事情を聞き、彼らが肉屋の鄭屠(鎮関西)に金をゆすられていることを知りました。義憤に怒った魯達は鄭屠のもとへ行き、暴れ回った結果、意図せず彼を殴り殺してしまい、渭州から逃亡します。

 ここでひとつ、魯達が鄭屠を殺してしまう場面の描写が非常に面白いので引用します。

一発殴ると、鼻に命中し、鮮血がドッと流れて、鼻は片方に歪んでしまい、たちまち醤油屋を開いたように、しょっぱいの、すっぱいの、辛いのが、一度にあふれ出てきた・・・(略)・・・魯達は「クソ泥棒め、まだ口ごたえするか!」と罵り、拳骨をふりあげて、目のふち、眉じりに一発食らわせると、目のふちが破れて、目玉が飛びだし、呉服屋を開いたように、紅いの、黒いの、臙脂色のが、すべてあふれ出てきた・・・(略)・・・魯達は「こらっ!おまえはごろつきだ。わしととことんまでやり合うなら、許してもやるが、どんなに許してくれと言っても、わしはおまえを許さん」と怒鳴りつけ、また一発拳骨をこめかみに命中させた。と、施餓鬼をしたように、磬(けい)や鈸(ばち)や鐃(どら)が、いっせいに鳴り響いた。魯達が見ると、鄭は地面にのびており、口から出る息はあるが、入る息はなく、ピクリとも動かない。(井波律子訳『水滸伝(一)』、講談社学術文庫、2017、p.131)

 このように、殴られた鄭屠の様子を、味覚・視覚・聴覚を使って豊かに表現しています。非常にユーモアに満ちた描写だと思います。 

 鄭屠を殺してしまった魯達は罪人として指名手配され、各地を逃げ回った後、金翠蓮父娘と再会します。金翠蓮は金持ちの趙員外のもとにいました。趙員外は魯達に五台山文殊院の智真老人を紹介し、魯達は出家し「魯智深」と名を変えました。しかし、元々気性の荒い魯智深は狼藉を繰り返し、五台山を追放されて開封相国寺へと移ることになりました。そこでたまたま豹子頭林冲と出会い、意気投合した二人は義兄弟の契りを結びます。

 この後、物語は林冲の話に移ります。高俅の息子・高衙内が林冲の妻に横恋慕したことを機に、高俅は林冲を奸計に嵌めて流刑とし、護送中に殺害しようと画策します。林冲が死の覚悟を決めた瞬間、魯智深が現れて林冲は一命を取り留めます。

 以上のように、『水滸伝』は人と人との繋がりによって物語が次々と展開していきます。ちなみに梁山泊のリーダーである宋江が登場するのは第18回で、それまでは史進魯智深林冲晁蓋などが中心となり、めまぐるしく話が進みます。ひとつひとつのストーリーは決して無理やり繋げられているということはなく、自然な展開であるという印象を受けます。

 上記の内容は本書第1章第1節「幕開きは語り物のスターから――魯智深林冲登場」でより詳しく解説されています。本書では物語の冒頭から好漢の退場までの展開を分かりやすく解説していますので、「とにかく『水滸伝』の粗筋を知りたい」という方にはとてもオススメです。

 

 「はじめに」の『水滸伝』に関する記述の最後では、好漢を結び付ける精神について述べています。

こうして形づくられる水滸伝世界において、なにより重視されるのは「俠の世界」であり、百八人の豪傑が集う梁山泊は、俠の倫理が貫徹する運命共同体にほかならなかった。このように男どうしの関係性を最重視する水滸伝世界の倫理観は爽快そのものだが、反面、女性に対しては過剰に潔癖であり、ほとんど女性嫌悪の様相を呈している。というのも、男といっていい梁山泊集団の女将を除けば、登場する女性は豪傑たちに一刀両断されてもしかたのない、極めつきの「悪女」ばかりなのだ。つまるところ、『水滸伝』には、「女性的なるもの」はすべからく「悪」であり、排除されて当然だという倫理観が厳然と存在するといってもよかろう。(「はじめに」、p.ⅱ) 

  好漢は互いに義兄弟の契りを結び、「俠」の精神に強く結び付けられています。仲間のためであればどんな危険をも冒し死を厭わないこの精神は『水滸伝』の基盤を形成しています。しかし、一方でそれは女性嫌悪の傾向を強めています。もちろん妻帯し家族を持つ好漢も少なくありませんが、その場合妻に関する描写はほとんどなく、妻や女性に対してスポットが当てられる場合は大抵が悪女と言えます。代表的な人物は、武松の嫂・潘金蓮や楊雄の妻・潘巧雲、盧俊義の妻・賈氏などが挙げられます。他にも宋江の妾・閻婆惜や白秀英など、スポットの当てられる女性は大抵その悪女さが強調されて描かれます。林冲の妻・張氏のように、その貞節が強調され好意的に描かれるのは例外的であると言えるでしょう。

 好漢は女色を好むべきではないという考えは、好漢たちの共通認識であったようです。しかし、矮脚虎王英だけはその好色さが際立って描かれます。王英の女好きの様子を目の当たりにした宋江は「原來王英兄弟要貪女色、不是好漢的勾當(もともと王英兄弟は好色なのだね、好漢のやることではない)」と苦言を呈します〈第32回〉。その後王英は、宋江の取り計らいで一丈青扈三娘と結婚し、それ以降王英の好色さが描かれることはなくなります。一方で宋江はと言うと、「原來宋江是箇好漢、只愛學使鎗棒、於女色上不十分要緊(もともと宋江は好漢で、鎗や棒を使うことばかりを好み、女色にはそんなに熱心ではなかった)」といった人物で、女性に対し淡白であったと描かれます〈第21回〉。閻婆惜殺しが起こってしまったのも、宋江のこの性格が原因のひとつにあったのでしょう。他にも、例えば盧俊義が女性に淡白であった点と妻・賈氏の不倫との因果関係について、金聖嘆は示唆的な評語を残しています。このように好漢の女性に対する考え方が事件を引き起こしている場合もあり、『水滸伝』のストーリーを一層豊かにしていると言えるでしょう。

 

 ここまで2回に亘って井波律子『中国の五大小説』の「はじめに」を取り上げて『水滸伝』の基礎知識や作品内容について紹介しました。訳本はもちろん、井波氏は他の本でも『水滸伝』に触れています。 

www.amazon.co.jp

www.amazon.co.jp

 

 様々な角度から『水滸伝』の面白さを語り尽くしたものとしては『水滸縦横談』(潮出版社、2013)という本があります。『水滸伝』で描かれる個々の人物や事柄についてもっと幅広く知りたい方にはオススメです。どうやら昨年文庫版も出たようです。

www.amazon.co.jp

 

 「俠」の精神に特化したものに『中国俠客列伝』(講談社講談社学術文庫)、2017)があります。本書は春秋戦国時代から清代まで、「俠」で知られる人物を紹介しています。

www.amazon.co.jp

 

 最後に『トリックスター群像』(筑摩書房、2007)を紹介します。本書は『水滸伝』『三国志演義』『西遊記』『金瓶梅』『紅楼夢』の作品に描かれるトリックスター(秩序を攪乱する存在)を題材にしています。『水滸伝』のキャラクターのうち、特に李逵については紙幅を割いて述べています。

www.amazon.co.jp

 

 井波氏の著書は『水滸伝』に関するものに限らず、とても面白いものばかりです。新書や文庫など手に取りやすいものも多いので、興味の湧いた方は是非読んでみてはいかがでしょうか。

 

ぴこ