聚義録

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初学者向け『水滸伝』関連図書2:佐竹靖彦『梁山泊 水滸伝・108人の豪傑たち』(1)

 今回も比較的手に取りやすい『水滸伝』関連図書を紹介したいと思います。

 今回紹介するのは佐竹靖彦『梁山泊 水滸伝・108人の豪傑たち』(中央公論社中公新書)、1992)です。佐竹氏は東洋史研究者ですが、『水滸伝』に関する論文も数本出しています。他の文学作品についての専論は管見の限り見られないので、佐竹氏は『水滸伝』に特に関心があったのかもしれません。論文検索サイトCiNiiで検索する限り宋代史に関する論文も多いようなので、それも関係あるのかもしれませんね。

 この記事を書くために本書を改めて手に取って気付きましたが、本書のタイトルには「りょうざんはく」とルビが振られています。私個人は「りょうざんぱく」と読んでいますが、どちらでも構わないと思います。

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 本書の章立ては以下のようになっています。

  第一章 水滸伝の舞台

  第二章 水滸伝の構成

  第三章 水滸伝のライン・アップとその変化

  第四章 水滸戯と二人の羅漢中

  第五章 小役人宋江から大豪傑宋江

  第六章 魯智深李逵

  第七章 公孫勝と大遼討伐

  第八章 美女と刺青――一丈青扈三娘のこと

  第九章 九天玄女と宿元景

 

 ある文学作品を研究しようとする際、その切り口はいくらでもあります。その作品の作者について掘り下げてもいいですし、作中人物の人物像について論じることもできます。その作品が社会・読者にどのように受容・評価されたか研究することも可能ですし、メディアミックスや二次創作といった視点から切り込んでも構いません。

 本書は様々な視点から論じられています。第一章は作品に描かれる舞台について、第二章は作品内容の構成や版本について、第三章は登場人物の先行資料との比較、第四章はメディアミックスの状況や作者について述べ、第五章以降はそれぞれのキャラクターについて詳細に論じています。それだけでも本書が非常に充実していることが分かるかと思います。

 また白話小説研究の切り口について知りたい方は、金文京『三国志演義の世界【増補版】』(東方書店(東方選書)、2010)が非常に参考になりますのでオススメです。

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 さて、本来であれば第一章から順番に読み進めていくのが良いのですが、今回からはこれらの中からキャラクター論の視点から論じている箇所、特に梁山泊のリーダーである宋江を取り上げた第五章(pp.77-95)の内容を紹介していきたいと思います。

 皆さんは宋江についてどのようなイメージをお持ちでしょうか。背が小さくて風采があがらない、気弱で泣いてばかりいる、武芸の腕もイマイチ・・・こういった印象を抱いている方も少なくないでしょう。佐竹氏に限らず、多くの研究者も宋江に対しては非常に辛辣な評価をしています。本章第一節「宋江は得体の知れない男である」(pp.77-79)は以下のように始まります。

 

 宋江は理解しがたい男である。水滸伝を読んで宋江を理解しかれに共感を示すものは、ほとんど皆無であろう。小川環樹氏は「公平に見れば宋江は憎むべき人物というほどではない。ただ、あまり愛すべき人間でないことは確かである」(『中国小説史の研究』岩波書店*1)といい、宮崎市定氏もまた「宋江という人間はまったく得体の知れぬ、おかしな人物である」*2という。何が理解しがたいのか一言で言えば、血沸き肉踊る大活躍を演じる梁山泊の豪傑たちの総大将であるにもかかわらず、英雄豪傑らしいところがまったくないのである。高島俊男氏にいわせると宋江は「卑劣で陰険で」「何一つとしていいところはない」(『水滸伝の世界』大修館書店、一九八七*3)。まず弱い、そして意気地なしである。・・・(略)・・・つぎに短慮で血のめぐりがわるい。風采があがらない。ちびのくせに太っていてしかも色が黒く、ぜったいに英雄好漢たる基準に適合しない云々。(pp.77-78)

 

 思わず笑ってしまうほど辛口な評価です。宋江がこのような人物であるということは、『水滸伝』を読んだことがある方であればある程度は納得できるかと思います。ではこのような宋江梁山泊の総大将になり得た理由は何なのでしょうか。佐竹氏は高島氏の見解を引いています*4

 

〈理由①〉

 『水滸伝』の物語が北宋末に実際に存在した「宋江三十六人」と呼ばれる盗賊団についての話としてできあがっていたので、あとでいくらすごい人物が登場しても総大将にはなれなかったため。

 

 『水滸伝』の成立史を辿る基本資料として『宋史』が挙げられます。『宋史』巻351侯蒙列伝には、侯蒙が「江以三十六人横行齊魏、官軍數萬無敢抗者、其才必過人(宋江は三十六人を用いて斉・魏に横行しており、数万の官軍で対抗しようとする者はおらず、その人材は必ず秀でています)」と上書したという一節が見られます。そもそも史実として宋江をトップとした「三十六人」の記載が見え、これが語り継がれて最終的に現行の『水滸伝』の形になりました。

 この36人の顔ぶれが初めて登場するのは、宋末元初の人である周密『癸辛雑識』に見える龔聖与「宋江三十六賛」です。その後、元曲や『大宋宣和遺事』にも36人への言及が見られますが、その顔ぶれが確定していたわけではありませんでした。しかしながら、いずれにおいてもその筆頭に据えられているのは「呼保義宋江」です。史実に端を発した水滸物語において、宋江の立ち位置だけは固定的でした。そのため『水滸伝』においてもその他の人物が総大将とはなり得なかったというわけです。特に天罡星36人のメンバーについては本書第三章「水滸伝のライン・アップとその変化」でより詳しく論じされています。

 

〈理由②〉

 おおらかで、自分より勝れた男にたいする警戒心がまったくないので勝れた人材を拒まなかったため。

 

 宋江のキャラクターについて、宮崎氏も高島氏と同様の評価をしていますが、佐竹氏はこの点については疑問を抱いています。

(引用者注:高島・宮崎両氏の)このような意見はなるほどもっともであるが、それでもしっくりしないところは残る。わがくにでも、源義経が、ちびで反歯の貧弱な男であったという説があるが、歌舞伎の源義経はそういうわけにはいかないのである。かりに、歴史上の宋江がちびで色黒で太っていても、水滸伝の総大将としての宋江をもっと豪傑らしく描いていてもなんの不都合もない。

 また、宋江はたしかにやがて自分の配下になるべく予定されている豪傑たちに対しては、まことに競争心がなく腰が低いが、それがかれの本当の人格かと問われると、くびをかしげざるをえないのである。(pp.78-79)

 

 両氏の見解に疑問を抱いた佐竹氏は、宋江像の原型を探るため、宋江の閻婆惜殺しのエピソードと、宋江の渾名である「呼保義」という二つの観点から検証を進めていきます。

 さて今回はここまで。次回は閻婆惜殺しに関する佐竹氏の検証について読み進めていくことといたしましょう。

 

ぴこ

*1:小川環樹『中國小説史の研究』、岩波書店、1968、p.47参照。

*2:宮崎市定水滸伝――虚構のなかの史実』、中央公論新社、2017改版、p.37参照。

*3:高島俊男水滸伝の世界』、筑摩書房、2001、p.29・31参照。

*4:注3高島氏前掲書、pp.28-44参照。高島氏は宋江が総大将たり得た要因として〈理由①〉について述べ、宋江の唯一の取り柄として〈理由②〉を挙げています。他にも宋江が総大将になることができた要因と考えられるものとして「山東の及時雨の名が全国に広まっていたため」、「九天玄女から天書を与えられたため」といった点を挙げていますが、自身でその可能性を否定しています。同様の内容が高島俊男水滸伝人物事典』(講談社、1999)、p.330にも見られます。