聚義録

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論文紹介1:林雅清「『水滸傳』における「好漢」の概念」

 前回までは初学者も比較的手に取りやすい『水滸伝』の関連図書を扱っていましたが、今回は『水滸伝』関連の論文を取り上げようと思います。

 

 皆さんは『水滸伝』のどんなところに魅力を感じますか。その答えは様々だと思いますが、梁山泊の豪傑たちの豪快で爽快な活躍に面白さを感じたという方はおそらく多くいらっしゃるのではないでしょうか。梁山泊の頭領たちはよく「好漢」と呼ばれますが、今回はそもそも「好漢」とは一体何なのかということについて論じた林雅清「『水滸傳』における「好漢」の概念」(『関西大学中国文学会紀要 北岡正子教授退休記念号』第27号、pp.89-105、2006-3)を紹介しようと思います。私は『水滸伝』の「好漢」をテーマに卒業論文を書いたということもありまして、この論文は私が大学生活で読んだ論文の中でも特に思い出深いもののひとつです。この論文はのちに一部修正が加えられ、林雅清『中國近世通俗文學研究』汲古書院、2011)に収められました。本来、学術的には修正が加えられた最新のものを用いるべきなのですが、結論に直結するような大きな修正は加えられていない点と本ブログをご覧の皆さまの便を考え、今回は基本的にオンライン公開されている旧バージョンに基づくことにします。

 

○本論文の目次

1.はじめに

2.抽象的「好漢」

3.具体的「好漢」

4.おわりに

 

○本論文の目的

〔…〕『水滸傳』は「好漢」という言葉が最も多く用いられている作品である。では、「好漢」とは一体どのような人物を指して言うのであろうか。好漢たるものの行為とは一体どのようなものなのか。〔…〕これらの疑問を、「好漢」という言葉が『水滸傳』の中でどのように使われているかということを探りながら考察し、『水滸傳』における「好漢」という言葉の概念の定義づけを試みたい。 (pp.89-90)

 

○本論

 まず林氏は「好漢」の用例は大きく「抽象的概念を表すもの」と「具体的なある種の人物を指すもの」の2種類に大別できるとした。

 

【A】抽象的「好漢」

①抽象的概念を表す「好漢」

〔例1〕這棒也使得好了。只是有破綻、贏不得眞好漢(その棒さばき、なかなか見事だ。しかし隙がある。それでは真の使い手には勝てぬ)

〔例2〕怕的不筭好漢(恐れるやつはではないぞ)

〔例3〕我須知景陽岡上打虎的武都頭、他是清河縣第一箇好漢(景陽岡で虎をなぐり殺した武都頭と言やあ、清河県きっての豪傑じゃないか)

〔…〕これらの「好漢」は全て、いわゆる「男」をいう意味を表している。「男」とはすなわち、いわゆる「男らしい」男のことである。雄々しさ・豪傑さ・強さ・潔さ・積極性など、一般に男性に備わると考えられる特質を備え持った人物、それが「好漢」なのである。

 しかし、「好漢」は、これら「男らしさ」の特性を全て備えていなければならない、ということではなさそうである。〔…〕以上のことから考えると、単に強いというだけでも「好漢」であり、潔い男・豪快な男・義に厚い男も、それぞれそれだけで「好漢」なのである。つまり、「男らしさ」の特性をどれか一つでも備えておれば、「立派な男」ということになるのである。むろん「男らしい」は褒め言葉であり、ゆえに、この場合の「好漢」は褒め言葉である。(pp.91-92)

 

②呼びかけの「好漢」

 ▷見た目で「男らしい」と判断して「好漢」と呼ぶもの

〔例4〕孟州牢城にて囚人連中が武松に対して「好漢」と何度も呼びかけた

 

▷許してもらおうと思って「好漢」と呼ぶもの

  →この「おだて」の用法は「好漢」に褒め言葉としての性格があるため生じた

〔例5〕武松にねじ伏せられた孫二娘が「好漢饒我(兄さん許してくださいな)」 と許しを請うた

 

③自分のことを表す「好漢」 

〔例6〕小人是個好漢、官司既已吃了、一世也不走(わたしもです。いったん罪に服したからには、逃げも隠れもいたしません) 

〔例7〕兄弟雖是個不才小人、却是頂天立地的好漢、如何肯做這等之事(わたしはつまらん人間ですが、これでも男一匹の好漢のつもりです。そんなばかなことをするはずがありませんよ) 

自分のことを表現する場合に褒め言葉を用いると、態度が尊大になってしまうはずである。しかし、CとHの例文(引用者注:例6・7)では、聞き手は話し手よりも目上、または話してよりも強い立場にあるため、これらの言葉は謙遜の意を含むものでなければならない。先に述べたように「好漢」は褒め言葉であるが、ここでは自分を褒めているとは考えられない。したがって、ここでの「好漢」は、褒め言葉としてのニュアンスは失われ、中立の言葉と化していると考えられる。要するに、騙したり嘘をついたりしないということを「好漢」という言葉で表しているのである。しかしながら、「男らしい」という本来の概念を失っているわけではない。「騙したり嘘をついたりしない」ということは「義を重んじる」ということであり、それはすなわち「男らしさ」の一面でもあるからである。(p.94) 

 

④「好漢」と「英雄」

 林氏は「好漢」は「強さ」の面から「英雄」や「豪傑」などと同一視されるが、これは誤りであるとする。その根拠として、呉用が阮氏三兄弟に晁蓋のことを話す前に言ったセリフ(例8)と、張青が武松に対して言ったセリフ(例9)を例に挙げる。

〔例8〕如今山東、河北多少英雄豪傑的好漢(いま山東や河北のあたりには、英雄豪傑たる好漢がいくらでもいるではないか)

〔例9〕去戲臺上説得我等江湖上好漢不英雄(舞台の上で、世を渡る侠客なんてのは英雄じゃないなどとふれまわるだろう)

(例8の)この「英雄豪傑」は、「好漢」を修飾する言葉であり、名詞が形容詞化したものであると考えられる。「英雄豪傑たる好漢」という言い方ができるとすれば、「英雄豪傑」でない「好漢」も存在するということにもなろう。〔…〕(例9の)この「英雄」も形容詞化されていると考えられ、「好漢」と「英雄」は、その用法と概念が同じではないということが理解できよう。〔…〕同じような概念を表す褒め言葉の場合でもその用法が違うということは、それぞれの言葉の種類自体が異なるということであろう。(pp.95-96)

 つまり「好漢」と「英雄/豪傑」の概念の違いは以下のように纏められる。

  ・「好漢」は「英雄/豪傑」を包括する概念である

  ・「好漢」は中立の概念を表す言葉にもなり得るが、「英雄/豪傑」は完全な褒め言葉で中立の言葉にはなり得ない

  ・ 「好漢」は呼びかけに用いられるが、「英雄/豪傑」は呼びかけとして用いられない

 

【B】具体的「好漢」

 ①具体的人物を示す「好漢」

〔例10〕可憐解珍做了半世好漢、從這百十丈高崕上倒撞下來、死於非命(哀れ半生を好漢として過ごした解珍は、その百丈あまりある高い崖の上からまっ逆さまに落ちて、命を落としてしまった)

〔例11〕可憐解寶爲了一世獵戸、做一塊兒射死在烏龍嶺邊竹藤叢裡(哀れ一世の猟師たりし解宝も、烏竜嶺の一角の竹と藤のしげみの中で、身をまるくして射殺されてしまった)

結論からいうと、具体的「好漢」は褒め言葉ではない。〔…〕なぜなら、具体的「好漢」とは、ある種の身分を表す言葉であるからである。その身分とは何か。それは、盗賊団を束ねる山寨の頭領、特に梁山泊の頭領のことである。〔…〕(例10の)この「好漢」が抽象的「好漢」の概念に当てはまらないということは、そのすぐ後にある解宝の死の描写と比較してみれば、一目瞭然である。〔…〕(例10・11は)表現が対応している。「猟師」は言うまでもなく職業の一種である。そうすると、この「好漢」もそれに近い概念を指すと考えられ、よって梁山泊の頭領のことを指していると考えられるのである。(pp.96-97)

 

梁山泊一〇八人の好漢

 梁山泊の108人は、たとえ宋江呉用など客観的には「男らしい」とは言い難い人物であっても武芸の心得があるとされている場合が少なくなく、武芸に関する表現が全く無いのは戴宗・朱武・安道全・皇甫端・宋清・朱貴・蔡慶・石勇・白勝・郁保四・時遷・段景住の12人である。

 また、下図は林氏が作成した図*1に私が書き入れをしたものである。

《凡例》甲群=包括的表現「梁山泊好漢」以外でも「好漢」と表現されている人物

    乙群=「梁山泊好漢」以外では一度も「好漢」と表記されない人物

    赤囲い=官軍出身の人物

    青囲い=武芸に関する表現が全く無い人物

    緑囲い梁山泊以外の山寨(強盗)出身の人物

 

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 ここから言えることとして以下の3点が挙げられる。

(1)官軍出身の人物の多くが乙群に属する

(2)梁山泊以外の山寨の頭領出身の人物は郁保四以外全て甲群に属する

(3)武芸の心得も無い上に「好漢」と表現されることもない梁山泊の頭領(梁山泊以外の山寨出身の郁保四は除く)は6人である

 

(1)・(2)→ 抽象的「好漢」として「官に楯突く者」という概念があると言える。

 

(3)→ 医者である安道全と皇甫端、盗みが得意な時遷と段景住、「好漢」と称される宋江と蔡福に付随してきただけでこれといった特技の無い宋清と蔡慶は抽象的「好漢」には含まれないが、梁山泊の頭領となったが故に具体的「好漢」(=梁山泊の「好漢」)には含まれる

 

③一〇八人以外の好漢

  108人以外の「好漢」として、まず初代梁山泊首領の王倫と2代目首領の晁蓋が挙げられる。晁蓋は典型的・代表的な抽象的「好漢」であるが、王倫は「他心地窄狹、安不得人(あいつは度量の狭い男で、なかなか人を信用しない)」と言われるように、到底「好漢」とは呼べない人物である。しかし、梁山泊の頭領であるが故に王倫も「好漢」とされる。

 他にも「好漢」と書かれる人物を18人挙げるが、そのほとんどが腕が立つとされる人物であることから、抽象的「好漢」には「武芸に秀でた強い男」という概念があることが認められる。

 

④女頭領と「好漢」

 梁山泊の「好漢」には、扈三娘・顧大嫂・孫二娘という三人の女頭領が含まれるが、本来「漢」という言葉は男性しか指さない。

 ならば、梁山泊の三人の女頭領はなぜ「好漢」と表現されるのか。それは、至って単純明快である。この三人を含めていう「好漢」という言葉は、すべて具体的「好漢」である。〔…〕梁山泊の頭領であれば無条件に「好漢」という肩書きがもらえるのである。したがって、具体的「好漢」には女性も含まれるということになる。ただし、抽象的「好漢」には、つまり「好漢」本来の意味には、女性は含まれないと考えられる。その証拠に、この三人個人を対象に「好漢」という言葉が使われている箇所は、一例もない*2。(pp.102-103)

 

○結論

 「好漢」の概念とは何か。〔…〕「好漢」の概念がはっきりとその二つ (引用者注:抽象的「好漢」と具体的「好漢」)に分類される訳ではないが、ここに、抽象的「好漢」の概念をもとに「好漢」という言葉の概念が次第に集約され、新たに具体的「好漢」の概念が生まれたという仮説を立てたい。ただ、むろん集約される前の抽象的概念も残されており、また、集約とは逆に概念の拡張も起こる。さらに、集約された概念からは新たな概念も生まれる。こうして、「好漢」の概念にいくつもの意味合いが生まれたのであろう。(pp.103-104)

 

 ●「好漢」概念の集約現象

 ・「男らしい男」(もとの概念)

     ↓

 ・「強い/武芸の心得のある男」だけが取り出される

     ↓

 ・「盗賊団の頭領」の概念に集約(梁山泊頭領であれば「好漢」に含まれる)

     ↓

 ・「反体制に属する者」の概念が付加(官軍武将は強くても「好漢」ではない)

 

「好漢」概念の拡張現象

 ・「男らしい男」(もとの概念)

     ↓

 ・単に「男」を意味する言葉として使用(褒め言葉的ニュアンスが希薄化)

  

 以上が本論文の内容です。このように本論文は「好漢」という語の用いられ方を根拠にして「好漢」の概念の定義付けを試み、その概念の範疇を考察しています。梁山泊の頭領たちが「好漢」と呼ばれる理由を知るにはうってつけの論文と言えますね。

 

ぴこ

*1:原論文の図中には誤字があり、のちに著書に収録された際に修正が施されているため、本図は著書から引用したものである(林雅清『中國近世通俗文學研究』(汲古書院、2011)、p.25参照)。

*2:先出の図では、顧大嫂が甲群に分類される点について、林氏は「呉用公孫勝、孫新や顧大嫂など、単独では「好漢」と表現されていない人物も、甲群に入れている」としている(p.99参照)。