聚義録

毎月第1・3水曜日更新

論文紹介2:荒木達雄「『水滸伝』に見える「義」の解釈」(2)

 前回に引き続き、荒木達雄「『水滸伝』に見える「義」の解釈」(『東京大学中国語中国文学研究室紀要』第13号、pp.22-48、2010-11)の内容を紹介していきます。

 

○本論文の目次

1.問題の所在

2.「義」の表れる場面とその解釈

3.朱子学の「義」

4.陽明学の「義」

5.李卓吾の思考法 

6.「義」の使用上の制限 (←今回はここから)

7.明代作品中にみえる「義」

8.使用対象の広がり

9.明代日常規範意識としての「義」

 

●6.「義」の使用上の制限

 儒学と『水滸伝』では「義」に対する基本認識は共通する

  ・「人としてなすべきことはなにかを判断し、それを果たそうとする意志」

  ・なすべきことの放棄や私利私欲への批判

     →動機は共通するが、運用面では差異が生じる

 

朱子学

 官学としての朱子学では、なすべきことは体制を基準に決まり、これに従って判断することが求められる。小規模範囲の秩序維持は、上位範疇、ひいては体制全体の秩序維持に貢献しなければならず、個人の判断がそれに合わない場合は「義」とは呼べない。(p.36)

 

陽明学李卓吾

 陽明学では既存の基準に従うのではない。しかしそれは、すべてが自由であることは意味しない。最大の目的はやはり体制秩序維持であり、「良知」に従う以上は、個人がなすべきことと感じたことが上位秩序を乱すことは想定する必要もなく、したがって推奨もしてはいない。ある種楽観的な考え方である。全体に貢献しない個人の判断は、人欲が天理を妨げているとされ、「義」とは呼ばれない。

 李卓吾陽明学の原則を堅持している。ただし、「良知」さえあれば個人に判断をまかせても理想状態が完成するというわけにはいかないという不安をより強く持っていたと思われる。(pp.36-37)

 

水滸伝

 一方水滸伝』でひとたび秩序を保とうとする範囲が策定されると、その時々の範囲外への「副作用」の如何に関わらず、また体制秩序に貢献するか否かによらず、当事者がその範囲の秩序のためになすべきと感じたことでありさえすれば「義」と称され得る。これは外部や上位範囲の秩序への影響には関心を払わない用法、秩序を守る範囲に固定した優先順位を設けない用法と言える。外部の秩序や体制を乱さないこともあるが、それは結果的にそうであっただけであり、「他の秩序を乱さないのが義である」という確固たる定義があるのではない。この「他への無関心」が朱子学陽明学との違いであるが、それはあくまで運用面での差異にすぎず、儒学の「義」が『水滸伝』の「義」を生み出す危険性は十分にあったのである。(p.37)

 

●7.明代作品中にみえる「義」 

▷『古今小説』巻七「羊角哀捨命全交」

 兄弟の契りを結んだ羊角哀と左伯桃は、仕官を求めに向かう道中で大雪に見舞われる。伯桃は角哀に衣服・食料を譲り、伯桃は凍死した。角哀は官職を得た後、伯桃の霊が荊軻の霊に苦しめられていることを知り、「義に報いる」ために命を絶ち、霊となって荊軻を倒した。

→この「義」は両者の結びつきの強さ、命を賭しても恩に報いようとする強い意志を指す

 

▷『三国志通俗演義』 巻十七「范強張達刺張飛

 関羽が戦死し、劉備は仇討ちのために軍を進めようとするが、秦宓がそれを諫める。

学士の秦宓が進み出て上奏した。「陛下のこの行いはもとより関公の復讐であり、愚考いたしますになすべきではありません。陛下が万乗の御身を顧みられず小義をなそうとなさるこの行為は、古人はとりません。」…先主は怒って言った。「関公と朕とは一心同体なのだ。大義はまだここにある、忘れてよいはずがない。」

その関羽を戦死させた敵を討伐するのはなすべきこと、「義」である。その一方で劉備には蜀漢皇帝という立場がある。この立場でなすべきことは第一に国家秩序の維持である。仇討ちのために無謀な戦いをしかけることは王朝に危険をもたらす。小規模範囲の「義」は上位の秩序に貢献するために存在するという考えでは劉備の思考は「義にもとる」とされてしかるべきである。しかしこの文の執筆者は秦宓に、劉備の「義兄弟としてなさねばならない」という動機を「義」 と認めたうえで、その「義」は国家の臣として受け入れられないという態度をとらせている。それを表したことばが「小義」である。注意すべきは、「義」と称すことはその判断への賛同を示すのではないことである。劉備の考えは国家秩序に貢献しないどころか迷惑ですらある範囲限定的なものであるが、心がけが「義」であることは否定できないというのがこの場面における処理なのである。(pp.39-40)

 このような例に対する朱子学的解釈では、国家の安定のための行為を「大義」と見做し、それを妨げる心がけは「義」と認めずに「私情」「利」と断じる(陳淳『北渓字義』巻下「義利」)

上位の「義」を害するものを「義」と認めるか否かによって、同じ動機に対する評価が正反対になる

 

●8.使用対象の広がり

  「義」は「孝」や「悌」などと違って特定の行動に限定されず、明人は「義」で多くのことを表す傾向を持つ。明代では様々な道徳的行為を「義」と称すようになっていた可能性がある。

(ex.)范式が命を賭して張邵と重陽節に会う約束を守ったことに対して

・『後漢書』『捜神記』→「巨卿信士、必不乖違」

・雑劇「死生交范巨卿鶏黍」→「巨卿千里赴會、真乃信士也」

・『清平山堂話本』「死生交范巨卿鶏黍」→「為信義而死」

・『古今小説』巻十六「范巨卿鶏黍死生交」→「」「」「信義

 

●9.明代日常規範意識としての「義」

 『水滸伝』式の「義」

  =「私利私欲ではなく、人としてなさねばならぬことだ」と本人が感じている行為

 

この「義」は一体どのように位置づけたらよいだろうか。これには前述の李卓吾の評語が参考になる(前回記事参照)。人が最も身近な人間関係を保とうと努力することは自然なことである。その努力が既存の秩序一切を乱さないとは理想にすぎない。現実には最も身近な人間関係を最優先すれば、範囲外への影響を考慮できなくな る可能性も高い。むしろ何があろうと身近な人間関係を守ろうとする意志の強さが評価されることすらある。これでは体制教学の理想とする「義」にはならない。李卓吾はその危険性を感じて評語をつけたのである。
 つまり『水滸伝』式の「義」は、体制全体に適合した教学的・理想的な用法に対し、身近なことを優先して個々の状況に対応する、現実的用法なのである。理想的か現実的かは、当事者のいる場面による。上中層階級の者が科挙に臨む場合、考場では当然朱子学に沿った思考で答案を書く。この時「義」は体制秩序に貢献する、理想的なものである。しかし同一人物がひとたびあらたまった場を離れれば、現実的な「義」に従い、家族や友人との関係を守るためには他に迷惑をかけることも辞さないと考える。当時の知識人は朱子学を理解せざるを得ないが、日常の思考すべてが朱子学に沿っているわけでもない。明代中期には「挙業のための学とほぼ一体化したことにより、朱子学的教養の位置づけは形式主義に堕することを免れなかった。......朱子学的教養の獲得そのものが目的なのではなく......明朝の官僚として政治に参与するための必須条件として、強制的に学ばされるものとなってしまったと言える」状況が見られ、日常の「義」に朱子学的理想とそぐわない部分があろうとも、挙業と日常の現実とは別であると割り切ることができたと思われる。(pp.42-43)

 

 水滸伝』で反体制とされる行為が現れやすいのは、「義」自体がその性質を有するからではなく、朝廷の権力から外れた作中人物の立場によるもの。梁山泊好漢が最優先にした身近な人間関係の秩序を保とうとする道徳実践(=「義」)は、当時の他の作品にも見られる。置かれた立場の違う作者や読者は、その思考法に共感し、実感できたのではないか。

 

 

○結論

(『水滸伝』では)「義」を守る際の障碍は一般社会の比ではない。しかし障碍を強力に排除しようとし、その結果いかなる不利益が生じるかも顧慮しない。現実社会の読者がしたくてもできないことを強力に実現に向けて遂行するのが『水滸伝』の「義」であると言えよう。それは『水滸伝』に限らない。天下の大局よりも生死をともにしてきた義兄弟の仇討ちを優先する劉備や、かつて結んだ個人間の関係をなによりも重んじ、「義絶」 と呼ばれる関羽など、同時代の他作品でもこの種の「義」を体現している人物が人気を博している。こうしてみると、水滸伝』の「義」は孤立した概念ではなく、明代の小説編纂者層・読者層の共有する「義」の感覚をよく反映していると言えよう。現実離れした世界の特殊な道徳を描いているのではなく、作者・読者にもよくわかる身近な道徳を万難を排して実行しようとするさまを描いたのがこれらの英雄像なのであり、そうであればこそ広く支持を受けたのであろう。(p.44)

 

 

 『水滸伝』の「義」の概念について当時の思想的背景から考察したのが荒木氏の本論文であり、その調査は非常に網羅的であると言えます。本論文の内容にご興味を持たれた方は、笠井直美「隠蔽されたもう一つの「忠義」―『水滸傳』の「忠義」をめぐる論議に關する一視點―」(『日本中国学会報』第44集、pp.172-186、1992-10)や仙石知子「毛宗崗本『三國志演義』に描かれた關羽の義」(『東方学』第126号、pp.89-105、2013-7、のち同氏『毛宗崗批評『三國志演義』の研究』(汲古書院、2017)収録)を合わせて読まれることをオススメします。現時点ではいずれもオンライン公開されていないのが残念です。

 

ぴこ