聚義録

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平岡龍城訳『標註訓譯水滸傳』

 今回は、大正期に刊行された『水滸伝』の訳本について紹介します。大正三年から五年にかけて『標註訓譯水滸傳』(以下、『標註』と略称)という訳本が出版されました。訳注者は平岡龍城という人物です。写真のような線装本で、全15冊あります。ちなみに底本は金聖嘆本(七十回本)です。

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 平岡龍城という人物について、高島俊男氏が「平岡龍城という人については、わたしはほとんど何も知らない」と述べるように*1、その詳細は分かっていないようです。『標註』の署名に「東肥」と見えることから熊本出身と考えられています。また平岡は『国訳紅楼夢』の訳者としても知られ、他にも『日華大辞典』の編者でもありました。平岡龍城に関する論文を発表している森中美樹氏や郡司祐弥氏によると、本名は平岡十太郎、正確な生没年は不明ですが、生年は明治初期頃で、終戦前には没していただろうということです。また、平岡は中国語の学習歴があり、晩年には魚返善雄らと行動を共にしていたようです*2

 

 ちなみに、私は2年半ほど前にネットで出品されているのたまたま見かけ、15,000円で購入したのですが、購入後に

なおこの本は今でも時々古書店の目録で見かける。値段は一セットで一万円以下。たいへん安い。そんなに多くの部数が出たとは思えぬのに、こんなに安いのは、終始一貫その価値を認められたことがないのだと思えて悲しい。(高島俊男水滸伝と日本人』、p.342)

の一節を読んで「もっと安く買えたのかもなぁ」と悔しく思ったのを覚えています。

 

 さてさて、ともかく『標註』の中身を見ていきましょう。

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上の写真を見ると、書名に「訓訳」とあるように、本文に対して訓点が施され、右訓と左訓が附せられていることが分かります。また上部には語句に対する注釈が付けられています。

 例えば冒頭、朱武が史進に投降する際のセリフを見てみましょう。訓が附せられていない箇所は本文をそのまま示しています。

 

【本文】

朱武等三箇頭領跪下道、哥哥你是乾淨的人、休爲我等連累了、大郎、可把索來、綁縛我三箇出去請賞免得、累了你、不好看

 

【右訓】

朱武ら三にんのとうりょうひざまづきいふ、あにきなんぢはこれけっぱくな人、われらがためにれんるいすることなかれ、わかだんな、なわをとりきたり、我が三にんをしばりいでゆいてしょうをこひまぬかれうべし、你をまきぞえしては、こうかんならず

 

【左訓】

朱武等三箇頭領跪ながら云ふ樣、哥哥你是乾淨的人、わたしらの爲に、まきぞえにする樣ではつまりませぬ、大郎、縄をもって、わたしら三人を、しばり、やくしょに訴人して、ほうびをもらい、わざわいをのがれたがようござる、まきぞえをくっては、ふていさいですから

 

 右訓は学校で習うような漢文訓読に比較的近いようにも思えますが、実際にはかなり特徴的なものになっています。例えば「乾淨」を「けっぱく」と読んだり、「累了」を「まきぞえしては」と読んだりしています。このことから、右訓は単なる訓読だけでなく、訳文としても機能していると言えます。郡司氏によると、この手法は「正訳」と呼ばれるもので、『聊斎志異』を翻訳した柴田天馬が編み出し、平岡龍城も『国訳紅楼夢』でこの手法を用いたそうです。また「正訳」の特徴として以下の4点を挙げています*3

 

 ①原文の漢字をそのまま用いて原文に忠実に文字数を増減しないように心がける

 ②漢音(音読み)を避けて通俗平易な和訓の振仮名(と送り仮名)を当てる

 ③原文の直訳と和訓の意訳を同時に成立させる

 ④総振仮名である

 

 これらの特徴は『標註』の右訓にも当てはまると言えます。

 

 一方、左訓は完全なる訳文と言っていいでしょう。しかし、全文に附せられているという訳ではなく、おそらく例えば「哥哥你是乾淨的人(あにきなんぢはこれけっぱくな人)」のように、右訓が意訳的訓読になっている、つまり訳文として十分に役割を果たしている時は、左訓を付けない場合もある、ということでしょう。

 

 さらに上部には「乾淨」について「罪人又ハ盗賊ニアラザル潔白ナ」と説明されています。この点からも「けっぱく」という読みが解釈を含めたものであることが明白です。

 

 このような緻密な訓・訳・注が全15冊に亘って施されているのですから、平岡の費やした時間や労力、そして彼の『標註』にかけた熱意は尋常ならざるものだったでしょう。

 

  平岡の「正訳」を目の当たりにして、私は金文京『鑑賞中国の古典 中国小説選』(角川書店、1989)に見える金氏による『水滸伝』の訓読を想起しました。

 

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これは魯智深が鄭屠(鎮関西)を殴り殺す場面で、私のお気に入りのシーンのひとつです(というと少々物騒ですが)。この場面の表現の面白さについては以前の記事でも少し触れたことがあります。

 

【本文】

撲的只一拳、正打在鼻子上、打得鮮血迸流。鼻子歪在半辺、却便似開了個油醤舗、醎的、酸的、辣的、一発都滾出来

 

【金氏による訓読】※振仮名は括弧内に表記

撲的只一拳(ぼこっとただいっけん)、正(まさ)に鼻子(はな)の上(うえ)を打(う)ち、打(う)ち得(て)鮮血(せんけつ)迸(ほとばし)り流(なが)る。鼻子(はな)は歪(ゆが)みて半辺(はんべん)に在(あ)り、却(あたか)も便(すなわ)ち個(いっけん)の油醤舗(ゆしょうほ)を開(ひら)き了(た)るに似(に)たり、醎的(しょっぱいもの)、酸的(すっぱいもの)、辣的(からいもの)、一発(いっぺん)に都(みな)滾(なが)れ出(い)で来(き)たり

 

 金氏にその意図があったかどうかは不明ですが、この訓読からは「正訳」に近いものが感じられます。原文にできる限り忠実に、そして原典の雰囲気を残すために極力平俗な言い回しを用いて訓読する「正訳」の手法はとても魅力的に思えます。

 

 余談ですが『鑑賞中国の古典 中国小説選』の「総説」(pp.9-35)では、先秦から近代までの小説史が簡明にまとめられています。特にこれから中国古典小説を本格的に学んでいこうと思っている方には是非とも読んでいただきたいです。

 

  最後に、高島氏のコメントを引いて今回の記事を終えたいと思います。

 だからこの本はむしろ、ほかのテキストで『水滸伝』を読んで、問題が生じた時に参照する一種の辞典としてもちいるのに最も適当である。

 そしてまたそうした用途に十分こたえられるようにできている。『水滸伝』のはじめからしまいまで、解釈・説明してないところはないという、万全の研究成果である。

 何よりもこの本には、『水滸伝』の文意語意を一句一字にいたるまで解剖しつくさねばやまぬという熱気がこもっている。かつて明治大正のころ、平岡龍城という人があって、何年か十何年かをかけて、『水滸伝』の右と左と上とに蠅頭の細字をコツコツと書きつづけた、その存在感が、迫力をもって、ときには鬼気をともなってせまってくる、――『標註訓訳水滸伝』はそういう本である。(高島俊男水滸伝と日本人』、pp.348-349)

 

ぴこ