聚義録

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金聖嘆「読第五才子書法」を読む(1)

 明末清初の文人である金聖嘆は百二十回本『水滸伝』の本文を改変し、大量の評語を附した『第五才子書施耐庵水滸伝』(通称「金聖嘆本」)を編纂しました。その冒頭には「序一」・「序二」・「序三」・「宋史綱」・「宋史目」といった幾つもの文章が置かれています。その中に「読第五才子書法」(以下「読法」)というものがあります。この文章には金聖嘆の『水滸伝』観が表れているだけでなく、彼の批評思想・批評技法が記されています。「読法」は全69段あり、その内容を大まかに分けると以下のようになります。

  ①第1〜6段:『水滸伝』創作の動機及び作品テーマ

  ②第7〜21段:『水滸伝』の文章

  ③第22〜48段:好漢に対する人物評価

  ④第49〜69段:『水滸伝』の具体的「文法」

そこで今回は、①の第1〜6段を読んでいきたいと思います。

 

【1】

 大凡讀書、先要曉得作書之人是何心胸。如『史記』、須是太史公一肚皮宿怨發揮出來、所以他於游俠貨殖傳、特地着精神、乃至其餘諸記傳中、凡遇揮金殺人之事、他便嘖嘖賞歎不置。一部『史記』、只是「緩急人所時有」六箇字、是他一生著書旨意。『水滸傳』却不然、施耐菴本無一肚皮宿怨要發揮出來、只是飽煖無事、又値心閒、不免伸紙弄筆、尋箇題目、寫出自家許多錦心繡口、故其是非皆不謬於聖人。後來人不知、却於『水滸』上加「忠義」字、遂并比於史公發憤著書一例、正是使不得。

 

〔訳〕そもそも書を読むには、まず書を作った人がどのような思いを抱いていたかを理解する必要がある。『史記』のようなものは、太史公の腹中の宿怨を現出させたものに違いなく、そのため彼の「游侠列伝」「貨殖列伝」では、とりわけ彼の精神を書き表し、或いはその他のこの伝記の中で、あらゆる「金を使う」「人を殺す」という事に出会えば、彼は頻りに賞賛してやまない。『史記』とは、ただ「緩急人所時有(危急とは誰しもに起こるものである)」の六字であり、これは彼が生涯を通して書を著した趣旨である。しかし『水滸伝』はそうではない。施耐庵はもとより腹中に現出させたいような宿怨が無く、衣食は満たされ平安な暮らしをしており、心が落ち着いていれば、紙を敷いて筆を弄び、主題を求めて、自身の豊富な文才をどうしても書き表してしまう。そのためその是非はすべて聖人に背くことはない。後世の人がそのことを知らずに、却って『水滸伝』に「忠義」の字を加え、その結果太史公が発憤して書を著した一例と比べるのは、まさにしてはいけないことである。

 

 金聖嘆が『水滸伝』を初めて読んだのは11歳の時で、その時彼は病に臥していました。彼は世間に流布している「俗本」を読み始め、12歳の時に改めて「古本」を入手して批評を加え始めたと述べます*1。彼の述べた内容に基づけば、当時「俗本」と「古本」の2種類のテキストがあり、そのうち「古本」の方に批評を加えたということになりますが、実際は「古本」は金聖嘆自身が「俗本」(=百二十回本)を改変して作り出したものです。改変箇所に度々「俗本に○○とあるのは誤り」という評語が見えるのも、「俗本」より優れる「古本」が別に存在していたという体裁を貫いているためです。また、彼は「古本」の作者を施耐庵としています。

 

 李卓吾「忠義水滸伝叙」についての以前の記事で「発憤著書」説について述べました。李卓吾は『水滸伝』は作者が心中に渦巻く憤懣を吐き出すために創作されたという「発憤著書」説を採っていますが、金聖嘆はその説を否定します。金聖嘆は「施耐庵はもとより腹中に現出させたいような宿怨が無く、衣食は満たされ平安な暮らしをしており、心が落ち着いていれば、紙を敷いて筆を弄び、主題を求めて、自身の豊富な文才をどうしても書き表してしま」った結果、『水滸伝』ができあがったとしています。

 また、金聖嘆は梁山泊は国家に仇する盗賊に過ぎず、宋江を含む好漢たちの「忠義」を強く否定します。李卓吾も認める「忠義」の徒である宋江に対しても、金聖嘆は宋江が「忠義」を口にする度に「これは権詐だ!」と強く指摘します。彼が書名から「忠義」を削ったのも、梁山泊の行為に対する否定的態度の表れであると言えます*2。故に梁山泊の招安以降の話を切り捨てたのです。彼は招安の話を「古本」に加筆して「俗本」を生み出したのは羅貫中だとし、その羅貫中を非難したりもしています*3

 以上のことから、金聖嘆は「忠義」及び「発憤著書」という観点において『水滸伝』と『史記』を並べて論じるべきではないと主張します。

 

 

【2】

『水滸傳』有大段正經處、只是把宋江深惡痛絶、使人見之、眞有犬彘不食之恨。從來人却是不曉得。

 

〔訳〕『水滸伝』には正しい点が多くある。ただ宋江だけを深く憎みひどく恨み、人々にこれを読ませ、まことに宋江の品行が極めて悪いこと対する恨みを抱かせた。しかしこれまで人々はこのことを分かっていなかった。

【3】

『水滸傳』獨惡宋江、亦是殲厥渠魁之意、其餘便饒恕了。

 

〔訳〕『水滸伝』がただ一人宋江だけを憎んでいるのは、彼らの頭目宋江)を殺すということであり、宋江以外の人物は許したのである。

 

  【2】・【3】では作者が宋江ばかりを憎んでいると指摘していますが、これは当然金聖嘆が宋江を非難しているに他なりません。先程も述べたように金聖嘆は宋江に対して常に辛口な評価をしています。彼が「忠義」を口に出せばその権詐を指摘し、彼が涙すれば嘘泣きだと口を挟み、晁蓋の死に遭えばわざと見殺しにしたと責め立てるなど、特に宋江の欺瞞性にはとても敏感で、事あるごとに批判しています。

 

 

【4】

或問施耐菴尋題目、寫出自家錦心繡口。題目儘有、何苦定要寫此一事。答曰、只是貪他三十六箇人、便有三十六樣出身、三十六樣面孔、三十六樣性格、中間便結撰得來。
 
〔訳〕ある人が尋ねた、「施耐庵は主題を探し求め、自身の文才を書き表している。主題はいくらでもあるのに、どうしてわざわざ必ずこの話(=『水滸伝』)を書こうとしたのですか。」私は答えて言った、「施耐庵はこの三十六人には、三十六様の出自があり、三十六様の顔つきがあり、三十六様の性格があるようにと欲張り、物語の中でもそのように文章を作ることができたのです。」
 
  施耐庵は文才に秀でているのにわざわざ『水滸伝』の話を書いたのは、作中人物それぞれのキャラクターを描こうとしたからだと金聖嘆は指摘します。ここでは人物の描き分けについて述べています。各人には各人の出自・容貌・性格があるのであって、施耐庵はそれを描き出そうとしたのです。「序三」にも「叙一百八人、人有其性情、人有其氣質、人有其形狀、人有其聲口(梁山泊の百八人には、それぞれ「性情」・「気質」・「形状」・「声口」がある)」とあるように、金聖嘆はキャラクターを描き出すことに非常に注意を払っています。その結果、小松謙氏が「魯智深李逵の純粋さはより純粋な方向へ、宋江の偽善性はより偽善的な方向へと深化される」と述べるように*4、作中人物の性質・個性をより強調する改変を施しています。
 
 

【5】

題目是作書第一件事。只要題目好、便書也作得好。

 

〔訳〕主題とは書を作る上で最も重要な事柄である。主題が良いものでありさえすれば、その書物もまた良くできているということである。

【6】

或問題目如『西遊』『三國』如何。答曰、這箇都不好。『三國』人物事體說話太多了、筆下拖不動、踅不轉、分明如官府傳話奴才、只是把小人聲口、替得這句出來、其實何曾自敢添減一字。『西遊』又太無脚地了、只是逐段捏捏撮撮、譬如大年夜放煙火、一陣一陣過、中間全沒貫串、便使人讀之、處處可住。

 

〔訳〕ある人が尋ねた、「『西遊記』や『三国志演義』のようなものの主題はどうでしょうか。」私は答えて言った、「これらは全て良いものではありません。『三国志演義』は人物や物事、話が非常に多く、文章は引きのばそうとしても動かず、回そうとしても転がらないのです。明らかに役所の奏上役の野郎が、ただつまらない者の言葉を、この文に換えて書き出すようなもので、どうして役人は自ら字句を一字でも添削することがあっただろうか。『西遊記』はさらにまた全くもって荒唐無稽で、物語が進むごとに話をでっち上げる。譬えるならば新年の夜に花火を放つと、花火の開く時間は一瞬で過ぎてしまうようなもので、その間には一貫したものが全く無いため、人々にこれを読ませても、あちこちで読むのをやめてしまうことになるでしょう。」

 

 【5】では、文学作品にとって「題目(=話の主題・テーマ)」が最も重要な事柄であることを述べ、【6】では、『三国志演義』と『西遊記』の「題目」について論じています。金聖嘆は、『三国志演義』は登場人物や話の内容が多すぎるが故に、その文は変化に乏しく、小人の言葉をそのまま書いたに過ぎないと言います。一方『西遊記』の内容は荒唐無稽な上、その場その場で話が終わってしまうので、読者は途中で読むのをやめてしまうと言います。そういった点で『水滸伝』は『三国志演義』や『西遊記』に勝るのです。

 

 面白いことに、金聖嘆に大きな影響を受けた毛宗崗は『三国志演義』を批評した際に、「読三国志法」という文章を書いています。これは明らかに金聖嘆の「読法」を強く意識したもので、その中には『三国志演義』を『水滸伝』や『西遊記』と比較した一段があり、『三国志演義』は両者に勝ると主張します。以下、五藤嵩也氏の訳文を引いています*5

 『三國』(引用者注:『三国志演義』) を読むことは『西遊記』を読むことにも勝る。『西遊記』は妖魔の事件を捏造し、出鱈目で常道に背いており、『三國』が帝王の事績をありのまま述べ、真正で調べることができることには及ばない。しかも、『西遊記』の良いところは『三國』がどれも含有してしまっている。〔…〕

 『三國』を読むことは『水滸傳』を読むことにも勝る。『水滸傳』の文章の真正性は、『西遊記』が幻であることには比較的勝っているとはいえ、しかし実在しないものを偽造し、気分に任せて起こったり滅んだりしており、その工夫は難しいものではない。結局『三國』が決まったこと[三国時代の歴史]を記し、文飾や改竄を加えずに突然工夫を凝らすことが難しいことには及ばない。また、三国時代の人才の盛んな様子は、各々が特に優れているように描き出されており、呉用公孫勝らよりも高い才能を有する者が万単位で登場している。〔…〕

  毛宗崗からすれば『三国志演義』は『水滸伝』や『西遊記』より優れているのです。一見して分かるように、毛宗崗は捏造や偽造のない『三国志演義』の「真正性」を強く主張します。『西遊記』の荒唐無稽さについては金聖嘆の見解と一致しますが、毛宗崗からすれば『水滸伝』も実在しないところから生み出された物語に過ぎず、史実から『三国志演義』を創作する難しさには及ばないのです。

 このように他の批評家と比較すると、各批評家が重視するところが一層浮き彫りになってきて非常に面白く感じます。

 

 さて、今回はここまで。このペースですと、このシリーズは長くなってしまいそうです。もしかしたら途中で他のテーマの記事を挟むこともあるかもしれませんが、時間を掛けて最後の一段まで読み進めていきたいと思っています。どうぞお付き合いください。ではまた。

 

ぴこ

*1:「序三」に「吾最初得見者、是『妙法蓮華経』。次之、則見屈子『離騒』。次之、則見太史公『史記』。次之、則見俗本『水滸伝』。是皆十一歳病中之創獲也。……吾既喜読『水滸』、十二歳便得貫華堂所蔵古本、吾日夜手鈔、謬自評釈、歴四五六七八月、而其事方竣、即今此本是已。」とあります。

*2:金聖嘆の「忠義」に対する態度については、例えば中鉢雅量『中国小説史研究――水滸伝を中心として――』(汲古書院、1996)などで詳しく論じられています。

*3:「宋史目」に「何羅貫中不達、猶祖其説、而有續水滸傳之惡札也」とあります。

*4:小松謙『水滸傳と金瓶梅の研究』(汲古書院、2020)「第五章 金聖歎本『水滸傳』考」、p.262参照。

*5:五藤嵩也「毛宗崗「讀三國志法」訳注」(『三国志研究』15、pp.69-106、2020-9)、pp.96-97参照。