聚義録

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金聖嘆「読第五才子書法」を読む(2)

 前回に引き続き金聖嘆「読法」を読んでいきましょう。今回は『水滸伝』の文章の特徴について述べた部分のうち、第7〜11段を読んでいきたいと思います。

 

  金聖嘆は度々『水滸伝』を『史記』と比較したり、『史記』に擬えたりしています。今回読む部分からもそれがよく分かります。

  そもそも「読第五才子書法」に見える「第五才子書」とはつまり「五つ目の素晴らしい書」といった意味で『水滸伝』のことを指します。金聖嘆が「才子書」として挙げた作品は六つあり、第一から順番に荘子荘子』、屈原『離騒』、司馬遷史記』、杜甫詩、『水滸伝』、『西廂記』となります。六才子書については、春秋梅菊さんのブログ記事が大変参考になりますのでご覧ください。例えば金聖嘆以前でも、李卓吾が『水滸伝』や『西廂記』などの通俗文学を『離騒』や『史記』に並ぶ「古今の至文」と見なしており、明代中期以降、通俗文学の地位が伝統的な詩文と並ぶ(あるいはそれ以上に)まで引き上げられたことが分かります。

 

【7】

『水滸傳』方法、都從『史記』出來、却有許多勝似『史記』處、若『史記』妙處、『水滸』已是件件有。

 

〔訳〕『水滸伝』の文章を書く手法は、全て『史記』からのものであるが、『史記』より勝る点が多くある。『史記』の素晴らしい点は、『水滸伝』には既にその全てが存在している。

【8】

凡人讀一部書、須要把眼光放得長。如『水滸傳』七十回、只用一目俱下、便知其二千餘紙、只是一篇文字、中間許多事體、便是文字起承轉合之法、若是拖長看去、却都不見。

 

〔訳〕そもそも人々は一つの書物を読むのに、長い目で話の展開を見る必要がある。『水滸伝』七十回は、ただ一度目を向けるだけで、その二千余りの紙が、ただ一篇の文章であり、その間にある多くの事柄は、文章の起承転結の法で構成されているということが分かる。もしもこれを引き延ばして見ていくと、かえって話の繋がりが何も見えなくなってしまう。

 

 金聖嘆は『水滸伝』を『史記』に勝る作品であると評価します。『水滸伝』の優れている点は、作品内のひとつひとつの小さなストーリーが起承転結の手法によって繋がり合って、大きな物語として完成している点にあると言います。彼が『西遊記』に対してひとつひとつの物語に繋がりがないと批判したことは、「「読法」を読む(1)」の記事でも述べました。このように、金聖嘆は作品全体の構造及び、作品全体を構成する小さな物語の有機的な繋がりを強く意識しているのです。

 

 

【9】

『水滸傳』不是輕易下筆、只看宋江出名、直在第十七回、便知他胸中已算過百十來遍。若使輕易下筆、必要第一回就寫宋江。文字便一直帳、無擒放。

 

〔訳〕『水滸伝』は軽々しく筆を運ばない。宋江の登場の場面はというと、第十七回にあり、このことから彼(施耐庵)の胸の内では既に百遍ほどは計算をしていたことが分かる。もしも軽々しく筆を走らせれば、必ず第一回ですぐに宋江のことを書こうとするだろう。そうすると文章はずっと帳の中のような閉塞感が生じ、緊張感も開放感も無いつまらないものになってしまうだろう。

 

 【9】は面白い指摘ですね(大変個人的な見解で申し訳ありません)。『水滸伝』の主人公格である宋江が物語に初めて登場するのは第17回(百回本・百二十回本では第18回)です。例えば、史進魯智深林冲が逃亡するきっかけとなった話は全て宋江登場以前ですし、晁蓋らが活躍して生辰綱を強奪し、王倫から梁山泊を手中に収めるのも宋江登場より前の話です。仮に宋江を冒頭に登場させてしまうと、物語の展開は意識的あるいは無意識的にどうしても宋江中心にならざるを得ず、全体的に変化の乏しい「帳の中のような閉塞感」に包まれてしまいます。しかし宋江の登場回を遅らせれば、宋江登場に至るまでのさまざまな物語や他の人物に焦点を当てることができ、個々の人物やストーリーをより一層豊かに描き出すことができ、それが結果的にストーリーに「緊張感」と「開放感」を持たせることができる(=抑揚を付けることができる)というわけです。

 

 

 

【10】

某嘗道『水滸』勝似『史記』、人都不肯信、殊不知某却不是亂說。其實『史記』是以文運事、『水滸』是因文生事。以文運事、是先有事生成如此如此、却要算計出一篇文字來、雖是史公高才、也畢竟是喫苦事。因文生事即不然、只是順着筆性去、削高補低都繇我。

 

〔訳〕私はかつて『水滸伝』は『史記』よりも優れていると言ったが、人々は皆信じようとはせず、とりわけ私がでたらめを言っているのではないと知らなかった。実際は『史記』は文でもって事を運び、『水滸伝』は文によって事を生じさせる。文でもって事を運ぶというのは、先に事柄がかくかくしかじかあり、一篇の文章を計算して書き出す必要があり、たとえ太史公の優れた才能をもってしても、結局は苦労したことであろう。文によって事を生じさせるというのはそうではない。ただ自身の筆性に従って書いていくのみであり、高い所を削ったり低い所を補ったりするのも全て自分次第なのである。

 

 金聖嘆は『水滸伝』が『史記』に勝ると主張しますが、どうやら周囲の人はそれをなかなか信じてくれなかったようです。両作品は物語の展開のさせ方が違うのだと彼は言い、『史記』は「以文運事」で『水滸伝』は「因文生事」だとします。『史記』は史実をもとにしている文章であるために、様々に展開を計算して書こうとしてもそれは難しく限界があります。これが「文で以て事を運ぶ」ということです。一方で『水滸伝』はと言うと、史実に元ネタはあるにせよ、基本的には創作された物語ですので、作者は自身の思うまま文章を書き進め、自由に物語を展開させていくことができるわけです。これこそが「文に因りて事を生ず」の意味することです。

 

 「削高補低(高きを削り低きを補う)」について、原文そのままに従って解釈すれば「起伏を無くして平坦にする」という意味になります。更に『水滸伝』が作中人物の各々の物語を組み合わせてできあがっていることを加味して考え、「それぞれの物語が自然な繋がりをもって展開するように自由に手を加える」といった意味であると私は解釈しています。反対に、史実に従って書き進めなければならないという制限下で執筆された『史記』は、自由に「削高補低」することができないので、個々のストーリーを違和感なく繋げて展開させていくのには限界があり、かの司馬遷でも苦労したに違いないというわけです。

 

 

【11】

作『水滸傳』者、眞是識力過人。某看他一部書、要寫一百單八箇強盜、却爲頭推出一箇孝子來做門面、一也。三十六員天罡、七十二座地煞、却倒是三座地殺先強盜、顯見逆天而行、二也。盜魁是宋江了、却偏不許他便出頭、另又幻一晁葢葢住在上、三也。天罡地煞、都置第二、不使出現、四也。臨了收到「天下太平」四字作結、五也。

 

〔訳〕『水滸伝』を作った者は、人々より高い見識を備えている。私が彼の書物を見ると、百八人の強盗を書こうとして、かえって一人の孝行者を首領として押し出して(梁山泊の)顔とした点が一つ目である。三十六人の天罡星、七十二人の地煞星がいるのに、かえって三人の地煞星がまず強盗を行って、天に逆らう行いをしたことを明らかにした点が二つ目である。盗賊の首領として宋江がいるにも拘らず、ひたすら彼が首領として上に立つことを許さず、別に晁蓋を作り出して首領の座に居座らせた点が三つ目である。天罡星と地煞星を全て第二位の位置に置いて出現させない点が四つ目である。物語の終結を描くにあたって「天下太平」の四字でもって終えている点が五つ目である。

 

 金聖嘆は施耐庵の見識が優れる点を五つ挙げています。

 

①盗賊(梁山泊好漢)を描こうとしているにも拘らず、そのトップに敢えて孝行者の宋江を据えていること。

②作品冒頭で三人の地煞星(=朱武・楊春・陳達)の盗賊行為を描き、天に逆らう行為をしているのを明示していること。

宋江梁山泊の首領の地位に就かせず、晁蓋を作り出して首領の座に置いたこと。

④天罡星・地煞星を全て晁蓋(守護神)の下の地位に据えたこと。

⑤「天下太平」の四文字でもって物語を終結させていること。

 

 ④にあるように、『水滸伝』において晁蓋は天罡・地煞星の中には含まれず、その上の守護神という立場に置かれています。③に見える宋江晁蓋との関係について、宋江はその態度とは裏腹に心中では常に首領の座に就きたいと思っているとして、金聖嘆は常に宋江の偽善的態度を強く非難します。例えば、晁蓋の死に対する宋江の態度について、金聖嘆は「夫今日之晁蓋之死、即誠非宋江所料、然而宋江之以晁蓋之死為利、則固非一日之心矣(今日晁蓋が死ぬのは、宋江にとって予期せぬことであったものの、晁蓋の死が宋江自身にとって利のあることだという思いは、今日一日だけで生じたものではない)」と述べ、「宋江晁蓋を弑したのだ」とまで言っています〈第59回回初総評〉。 

 

 ⑤について、百回本・百二十回本の『水滸伝』では、好漢たちが集まった後、朝廷からの招安を受け、遼国・(田虎・王慶・)方臘と戦う話が描かれます。しかし、金聖嘆は好漢たちが結集する場面で話を打ち切り、突然好漢全員が捕らえられ、処刑されるという展開を創作しました。そして、この物語は全て盧俊義の夢の中のことに過ぎなかったという所謂「夢落ち」という結末に作り変えました。夢から目覚めた盧俊義の眼前には「天下太平」と書かれた看板があり、これで物語は終焉を迎えます。この結末と「天下太平」の四文字にこそ、梁山泊の「忠義」を痛烈に非難する金聖嘆の意識が表れていると言えるでしょう。梁山泊という盗賊が存在しない世界こそが「天下太平」の世というわけなのです。

 

 さて、今回はここまで。この続きは次回以降で読んでいきます。