聚義録

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『水滸伝』人物事典を楽しむ

 『水滸伝』の魅力の一つとして登場人物の豊かさが挙げられます。梁山泊の好漢だけでなく、奸臣や悪女など魅力的な個性を持った人物が沢山登場します。でも、登場人物の多さ、人物関係の複雑さが時に作品を読むハードルを上げてしまいかねないというのも事実だと思います。このことは『三国志演義』や『紅楼夢』など、他の明清白話小説でも同じことが言えるのではないでしょうか。そこで今回は、『水滸伝』の人物事典を2冊紹介しようと思います。この2冊は、もちろん人物を調べるのに非常に有用ですが、それ自体読み物としても楽しむことができると思います。

 

1.高島俊男水滸伝人物事典』(講談社、1999)

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 この本は非常に残念ながら絶版となっているのですが、どうにかして復刊されないものでしょうか。それほど素晴らしい本なのです。

 この本の最大の魅力はその圧倒的な網羅性にあります。事典部分は全660頁、附録を含めると約700頁にも及びます。梁山泊好漢や潘金蓮などの主要人物はもちろんのこと、名もない人物に至るまで、一度でも本文に登場する人物であればことごとく立項されています。例えば「男」という項目を見てみますと、全19人もの人物が羅列され、その詳細が示されています。これを読むだけで、その人物の出自から活躍内容まで、その人物の全体像を把握することができます。文体は非常に簡明に要約されていて非常に読みやすいと感じます。

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宋江」項

 「あとがき」に本書の執筆の過程が事細かに書かれています。それによれば、本書は高島氏のほか、野尻昌宏・難波淳両氏が執筆に大きく携わったということです。特に野尻氏は大部分の執筆を担当し、附録の「水滸伝の背景となる制度」・「水滸伝に出てくる武器」・「水滸伝年表」・「水滸伝地図」は全て野尻氏の手によるものだそうです。本書を一見すれば実感しますが、これだけの大書を執筆されたご苦労と熱意は想像だにできません。

 

 では試しに、梁山泊イチの暴れん坊の李逵の項目の一部を読んでみましょう(pp.577-584)。李逵一人の項目だけで8頁に亘ります。

李逵

 天殺星。梁山泊二十二位(71〔引用者注:括弧()内の数字は該当回を示す〕)。アダ名は黒旋風(黒いツムジ風)。鉄牛ともよばれる。沂州沂水県百丈村董店東の生まれ。赤い髪、赤いひげ、赤い眼のおそろしげな顔。粗野でもののわきまえがないが、剛直で人をだまさず、人にへつらわない。酒とバクチに目がない。人殺しがすきで、殺しだすと前後のみさかいがない。板斧二挺をつかいこなし、拳法も棒術もできる。

〔…〕

 ある日、李逵は上司の戴宗から流罪人の宋江を紹介される。義士として名だかい相手に、李逵は有頂天。しかもバクチ代を気前よくかしてもらい、よろこんでバクチ場へ。しかし、すぐに全額すってしまい、かしてくれた宋江への申し訳なさから、大あばれして金をうばってしまう。結局、宋江・戴宗に場をとりなしてもらった。

 三人で琵琶亭へいって酒をのむが、いきのいい魚がない。ではというので、李逵が直接港へでかけてかけあうが、漁師たちのだいじな魚をにがして大ゲンカ。そのすえに問屋の親方張順とたちまわりとなり、最後には川にほうりこまれ、さんざんに水をのまされてしまった。

 戴宗・宋江のとりもちでふたりは仲なおりし、四人でのみなおす。話がもりあがっていたところへ、歌い女の宋玉蓮が部屋にはいってきてうたいだした。いいところをじゃまされた李逵は、おこって女をこづきたおす(38)。

〔…〕

 方臘平定後、李逵は武節将軍の称号と鎮江潤州都統制の職をさずかり(118)、赴任する。しかし心中モヤモヤして、酒びたりの毎日をおくっていた。

 そのころ宋江は、朝廷の奸臣の計略によって毒酒をもられ、死がせまっていた。自分なきあと李逵が謀叛をおこすのをおそれた宋江は、李逵のもとにでかけ、かれにも毒をもった。わかれぎわにそのことをうちあけられた李逵は、涙をながして宋江のやったことをうけいれた。潤州へかえると、はたして毒がまわってしんでしまった。

 死後、遺言どおり、楚州南門外蓼児洼の宋江の墓のかたわらにほうむられた。

 その後、天子は夢をみた。梁山泊につれてゆかれ、宋江から毒酒のことをうったえられるのである。最後に李逵に殺されそうになって目がさめる(120)。

 

 このように李逵に関わる粗筋がまとめられています。その内容が描かれている回も示されているので、その原文を確認したいときにも非常に便利です。『水滸伝』の話は長くてなかなか読み始めるのは億劫だという方は、主要人物の項目を通して読むだけでも、その人物の活躍や為人を知ることができると思います。

 

 また本書の大きな特徴の一つとして、主要人物に対して人物評が書かれていること、そして他の版本との比較や元代に始まる水滸戯についても言及している点が挙げられます。前者は「*」以下、後者は「▶︎」以下で示されます。

水滸伝の主人公は百八人の英雄好漢である。しかし当然のことながらその百八人のなかにも、重要な人物と重要でない人物とがある。だれがもっとも重要な人物か。この問題をトコトンつきつめてゆくと、最後にのこるのは宋江李逵、ということになる。宋江梁山泊のウワベの性格を――つまり朝廷に対する忠義の集団というタテマエを代表している。李逵はホンネの性格――兇悪なゴロツキの集団という性格を代表しているのである。

 

▶『大宋宣和遺事』では、李逵宋江につれられ梁山濼にのぼった九人のひとり。天書の三十六人の名簿は十四番めに、南宋の周密の『癸辛雑識・続集』にひく龔聖与の「宋江三十六賛」では二十番めに名があがっている。

 元代の水滸戯(宋江三十六人のことをあつかった雑劇)では李逵はなかなかの人気もので、『黒旋風喬断案』(楊顕之)、『板踏児黒旋風』(紅字李二)、『黒旋風双献』(高文秀)、など、多数の作品名があげられる。

 明代の雑劇でも活躍。主人公役をつとめる『黒旋風仗義疎財』(朱有燉)以外にも、『豹子和尚自還俗』などに顔をだす。

 

 人物評がこれまた面白いのです。これはあくまで執筆者の主観に基づいて書かれた点に注意する必要がありますが、いち読者としての素直な感覚で書かれており、時にはクスッとさせられたり、時には激しく共感できたり、また時には「はぁ〜なるほど!」と感嘆させられたりします。

 水滸戯などの情報は、『水滸伝』成立史を考える上でも非常に重要な情報ですし、例えばキャラクター論などの研究をするにも非常に助かります。

 

 内容にこれほどまでの網羅性・徹底性を求めた背景には、高島ら三氏の強い「願い」があったようです。

 この事典はもとより一般むけのものであるが、しかし学術的レベルをおとすことなく、研究者にとっても十分役に立つものでありたい、というのが、われわれの一貫した願いであった。各方面のかたがたにひろく活用していただければ、われわれも苦労のかいがあったというものである。(「あとがき」より抜粋)

  私自身『水滸伝』の研究をしておりますが、本書には幾度となく助けられました。繰り返し言いますが、本当に残念なことはただひとつ、本書が絶版になってしまっていることです。ネット上で時折売り出されているのも目にしますが、なかなかの高額で簡単には手が出せない場合が多いです。どうか復刊して、より多くの方のもとへ届くのを願うばかりです。

 

 

2.草野巧『水滸伝 108星のプロフィール』(新紀元社、2000)

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 本書は新紀元社の「Truth In Fantasy」シリーズの1冊です。本書の優れている点は、充実した内容もさることながら、図表を使って非常に見やすく作られていることです。各項目は主に、①基本データ、②梁山泊入山前の粗筋、③梁山泊入山前の粗筋(図)、④梁山泊入山後の活躍、の4項目で構成されています。そのため、その人物の物語内での動きをざっとさらうのに有用です。また、④は年表になっていて、登場人物の動きを時間の流れと共に確かめることができます。

 

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宋江」項

 ①には、ゲームなどで見られるような、その人物の「戦闘/人望/知識/義理/活躍度」の評価が星5つで表されています。人物の能力や活躍を数値・図示化するような書き方がされている理由はおそらく本書刊行の目的と関係があると思います。

水滸伝』そのものを読んだことはなくても、『水滸伝』に関連した漫画や書籍、ゲームなどを楽しんでいる人は結構多いのです。それだけ、ある特定の豪傑についてもっと多くのことを知りたいと思う機会も多くなります。そんなときに、即座にその豪傑のことがわかる本があれば便利だというのが、本書の製作を始めたきっかけでした。(「あとがき」より抜粋)

 このように、本書はあくまで一般向けに作られたものなのです。更に、『水滸伝』原典を好む人というよりは、メディアミックスされた二次創作作品を楽しむ人の知識欲を満たすことに主眼を置いて作られました。そのため、高島氏のような学術的にも漏れのない人物事典とはそもそも毛色が異なるのです。『水滸伝』は翻案小説や漫画などでしか触れたことがないけど、原典にも少し興味があるという方は、まずは本書を手に取ってみると良いかもしれません。

 ただし「即座にその豪傑のことがわかる本」と草野氏自身が言っているように、本書は梁山泊好漢108人と、晁蓋や高俅など限られた人物しか扱われていませんのでご注意を。とはいえ、それぞれの人物に関する情報量は十分と言えるでしょう。

 

 今回は2冊の人物事典を紹介しました。これらは原典好きの方でも、メディアミックス作品が好きな方でも読み物として楽しめると思いますし、調査に使うにも十分有用だと思います。入手困難なものもありますが、図書館などで見掛けた際には一度開いて見ていただけたらと思います。では、今回はこれにて。

 

ぴこ