聚義録

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周勛初著/高津孝訳『中国古典文学批評史』(3)

 今回も周勛初著/高津孝訳『中国古典文学批評史』第十章「李贄と金人瑞の小説理論」(pp.419-433)の続きを読み進めていきます。前回は李卓吾の小説理論について論じた部分を読みましたが、今回は金聖嘆のパートに移ります。今回は、過去の記事で触れた内容を多く含んでいますので、過去記事をお読みいただいた方はより理解しやすいかと思います。

 

 まずは金聖嘆及び彼の小説理論の基本事項です。

 

 金人瑞(一六〇八〜一六六一)一名、喟、号は聖嘆、本名は采、字は者采、長洲(現在の江蘇省蘇州市)の人。彼は伝統、形式にこだわらないことで有名であり、文学においても独自の見解を有していた。また彼は「離騒」『荘子』『史記』、杜甫の詩、『水滸伝』『西廂記』に評点を加え「六才子書」[才能有る人が読むべき六つの書物]とし、『水滸伝』の文章が、『史記』をはるかに越えているということを論証する具体的な分析も行っている。それは、事実上、実在の人物、実在の事件を特徴とする史伝文学と虚構を特徴とする小説の創作に対しての比較研究となっている。歴史書は事実により制限を受け、ただ「文章で事実を運用する」だけである。文学の創作は具体的な人物や事実の制限を受けず、想像的作用を充分に発揮し、「文章によって事実を生み出」すことが可能で、表現されうる世界はよりいっそう広い。


 金人瑞の第五才子書『水滸伝』への批点は、李贄の影響を大きく受けているが、異なる点もある。彼の『水滸伝』批評は、李贄の学説を発展させたものであるが、『水滸伝』の思想内容に対する評価は、李贄の観点と全く対立するものであった。(p.423)

 

 話題はやや戻りますが、李卓吾評点本と彼の思想について補足がなされています。

 

 ここで説明しておかねばならないことがある。すなわち、明代の李贄評点と銘うつ小説について、その真偽を判断することは難しいことである。陳継儒『国朝名公詩選』李贄小伝にはこう言う。「民間の書店で出版された有名人の文集は、李贄によって選択されたと名を借るものが多く、伝奇小説までもが、皆な李贄先生におって評点が施されていると称している。ただ『坡仙集』[北宋・蘇軾の文集]と『水滸伝』叙だけが李贄先生の手に出るものであり、『水滸伝』中の細かな評点にいたっては、これも後人の偽託であるにすぎない」。この説は信頼するに足るものであるが、定説とはしがたい。というのは『三国志演義』『水滸伝』中の李贄評点の作者問題はしばらく置き、それを早期の小説理論として見るならば、それはなお歴史的価値を有しており、金人瑞の小説理論は、これら評点の基礎の上に発展してきたものだからである。


 李贄はこう考えている。北宋の政治的混乱と北方の金朝との軍事的問題の激化は、「世の中の英雄、賢人を駆りたて、ことごとく水滸[梁山泊]に結集させた」、それゆえに「忠義」[忠義の士]は「水滸に帰し」たのである。ここで、李贄は、『水滸伝』の英雄の才能と品性について肯定的評価を下している。当然、李贄は、「忠義の士は、水滸[梁山泊]にあるのではなく、すべて君主の側近くに在る」ことを希望している。それゆえ、彼は、動揺して投降した宋江に対する評価が高いのであり、このことからも、彼の思惑が明朝政権擁護にあったことがわかる。(pp.423-424)

 

 『水滸伝』に限らず、李卓吾による評点を謳った版本はいくつか存在していますが、一般的には李卓吾に偽託したものと見做されています。李卓吾批評本については、例えば廣澤裕介「明末江南における李卓吾批評白話小説の出版」(『未名』24、pp.1-31、2006-3)などで詳しく論じられています。

 実際に李卓吾の手によるものとされる「忠義水滸伝叙」については以前記事に書きました(李卓吾「忠義水滸伝叙」を読む)。基本的に李卓吾梁山泊好漢を忠義の士として高く評価しており、後述されるように金聖嘆とは真逆の「水滸観」を有しています(これについても過去に幾度か触れたことがあります)。以下しばらくは、李卓吾と金聖嘆の対立する思想について述べられています。

 

しかし、金人瑞は、李贄と態度を異にする。金人瑞は、明末に頻発した反乱の激化におそれをなし、それを仇敵視した。それゆえ、百二十回本の『水滸伝』をまっ二つに切り七十回本としたのである。金人瑞は後半五十回中の方臘征伐に関する粗雑な文章を削り去って小説の精粋を残し、一篇の完全な芸術的傑作としたのであり、高い文学的見解を具えており、客観的に言って『水滸伝』の伝播に対しすぐれた役割りを果たしたと言うべきである。しかし、末尾に、梁山泊の英雄が夢の中でうちそろって殺されるというストーリーを付け加えたことは、反乱に参加したものは全て処刑されるべきだということを表わしており、これもまた彼の保守的思想の表現であるとしか言えない。このため、金人瑞は、李贄が『水滸伝』の英雄を「忠義」であると賞賛することに否定的で、「そもそも梁山泊に忠義の士がいて国家には忠義の士はいないということなのか」と反問している。ここで、彼は「名を正す」ことに急ではあるが、そもそも『水滸伝』中の宋朝政権に「忠義」の人物がいるということ自体証明するすべはない。


 李贄は、司馬遷の「憤を発して書を著す」説を引用して、作者施耐庵羅貫中の二人は「元朝に生まれたけれども」、宋代において政治が腐敗し、つまらぬ人間が高位をかすめ取ったため、異民族の侵入が引きおこされたのを目にして、憤懣やるかたなく『水滸伝』を書いたのだと考えている。こうした解釈は、『水滸伝』創作の現実と必ずしも一致しないが、李贄の意図は、『水滸伝』の作者が内心深く感ずるところがあって、「珠玉の名作が生まれる」ことになったのだということにある。金人瑞はこれを否定した。施耐庵とかいう奴は、「何不自由無い満ちたりた生活をおく」っていたので、「紙をひらき筆を手にして」、気晴らしのために『水滸伝』を創作したにすぎない。「後世、人々はこの事を知らず、かえって『水滸伝』の名の上に「忠義」の二字を加え、司馬遷の述べる「憤を発して著を書す」の一例として同列に置いたのは、全くおかしい」。この一文から、金人瑞は意識的に李贄に反対する立場に立ち、『水滸伝』の作者の創作動機に対して通俗的な説明をしたことが分かる。したがって、その思想的レベルは低く、李贄と並び論ずることはできない。

 

 両者の『水滸伝』の忠義に対する認識の違いについては過去にも何度か触れたことがありますが、このように真っ向から対立しています。

 

 金聖嘆の思想的水準は李卓吾と「並び論ずることはできない」と評する周氏ですが、金聖嘆の小説技法に対する批評については高く評価しています。

 

 しかし、金人瑞は小説の創作については理解が深い。彼は時文[科挙受験用の文体]の影響を受け、八股文に評点を加える方法を用いて『水滸伝』を分析した。その際、多くの形式主義的な名目、「草蛇灰線法」「綿針泥刺法」「鸞膠続弦法」等を用いたことは、彼の思想上の陳腐な点を示してはいるが、しかしながら、『水滸伝』の評点におけるこれらの欠点は、なお長所を帳消しにする程ではない。彼は文学作品中の形象性問題に注意を払い、特に人物の性格について細緻な分析を行い、これまでにないレベルに到達することができたのである。

 

 金人瑞は「読第五才子書法」中にこう述べている。「他の書物なら一度ひととおり読んでしまえば、それで終わるが、水滸伝だけは、読みあきることがなく、百八人の性格を全て描写しつくしているといえる程のものだ」。また「『水滸伝』は百八人の性格を描写して、本当に百八様である。他の書物の場合、一千人を描写したとしても、千篇一律にすぎず、たとえただ二人だけの描写でも、やはり変わりはない」。これは小説が成功するかどうかは、人物をうまく描写できるかどうかにかかっているということを言うものである。


 金人瑞は、登場人物の言葉と行動を通して、性格を分析している。たとえば、『水滸伝』第十回では、林冲が王倫たちに自らを梁山泊に受け入れてくれるよう求めるシーンの描写があるが、金人瑞のコメントは次のように言う。「林冲の言葉である。⋯⋯彼の言葉は世間一般のこせこせした人の言葉ではないが、決して魯達、李逵の口調でもない。ゆえに、『水滸伝』は林冲を描写するとき、全く別種の文章になっている」。さらに第二十五回で、武松が都開封から陽穀県にいそいでもどり、あわてて武大兄貴に面会するシーンでは、「ここでは、「友于」「恭敬」等の兄弟間の友愛を示す言葉を全く用いずに、兄弟の恩情、骨肉の情をよく描写しており、経書の言葉を集めて、飾った文章を作る現在の作家達と比べると、全く雲泥の差がある」とコメントしている。これらのコメントは、概念化した陳腐な表現では豊かなイメージを生み出すことはできず、ただ行動を通じて人物を描写することではじめて精彩ある性格を描き出せるのだということを示している。


 金人瑞は比較という方法を用いて、人物の性格を分析している。たとえば、『水滸伝』四十二回の李逵が虎を殺すシーンでは、武松の虎退治の一段を引いて比較を行っている。金人瑞のコメントは、「水滸伝は武松の虎退治を実に精密に細やかに描写しているが、一方李達の虎退治の方は極めて大胆に描写している」。こうした精緻な分析は、読者が登場人物の性格特徴を把握するのに役立つものである。金人瑞は、さらに比較という手段を用いて、同じ類型の人物の中から、それぞれの人物の独特の個性特徴を分析し明らかにしている。「読第五才子書法」ではこう述べている。「『水滸伝』はひたすら人間の粗野なところを描写し様々に表現している。魯達の粗野なところは、せっかちであり、史進の粗野なところは、少年の俠気であり、李逵の粗野なところは、その乱暴さであり、武松の粗野なところは、束縛を嫌う豪傑の気象であり、阮小七の粗野なところは、ひたすら悲憤にあけくれる点であり、焦挺の粗野なところは、性格の悪さである」。これらは、先人の見解にもとづき自分の考えを発展させ、精緻な分析を行ったものである。彼はさらに本文中のコメントで、上述の人物に対しすぐれた分析をしている。読者はコメントを読むことでよりいっそう『水滸伝』の描写のすばらしさを理解できるのである。


 『水滸伝』の登場人物は数多い。上は英雄豪傑から、下はみだらな女性や泥棒まで、全てが生き生きと描写されている。作者はどうやってこのような能力を身につけ、このように複雑な人物像を描き出せたのか。作者が英雄豪傑のイメージを創造できたのは、説明できる。というのは作者はもしかしたら英雄豪傑の気質をそなえていたかもしれないからである。しかし、作者が「みだらな女性を描いてなんとみだらな女性そのもの、泥棒を描いて泥棒そのものであるのは、どういうことか」。金人瑞は第五十五回の総批[総合的コメント]中で次のように答えている。

 

 

 思うに、施耐庵の文章は、実に心底からいかがわしい女の気持になり、泥棒の気持になって描いている。心底からその気持になっているので、まことの描写ができるのである。いったいどうして、創作物と現実の不義密通、忍者盗賊の区別がつこうか。

 


 ここで言う「心を動かす」[その気持になる]は、作者の「心」が深く書物の中の人物の思考感情に入りこむと、あたかも俳優が役になりきったかのように、英雄を演じては英雄そのものになり豪傑を演じては豪傑そのものになり、みだらな女性を演じてはみだらな女性そのものになり、泥棒を演じては泥棒そのものになるというようなものである。人物がいかに千変万化しようとも、ただ作者が作品を書く時「心を動かし」さえすれば、さまざまな迫真の人物を描き出せるのである。問題は、作者が生活上の知識を長期間蓄積してはじめて、自由闊達な境地に到達しうるということである。「水滸伝序の三」には次のように言う。

 


 『水滸伝』の描写は、百八人の人物を、それぞれ別々の性質、心情を持ち、別々の気質を持ち、別々の姿を持ち、別々の言葉遣いを持つように描いている。そもそも、一人の作者が数人の顔を描くと、兄弟のように似たものになるし、一つの口でいくつもの音を出そうとすると、情けない音とならざるをえないものである。施耐庵が彼自身の一つしかない心をはたらかせて、百八人の描写がそれぞれすばらしいものになるというのは、他でもなく、長期間の真理の探究のすえ、ある日突如として真理が訪れたのであり、かくして一筆で何千何万の人を描き出すことも、本来難しいことではない。

 

 

 彼は哲学上の問題を用いて文学上の問題を説明している。いわゆる「十年物に格れば、一朝物格る」[長期間の真理の探究のすえ、ある日突如として真理が訪れる]は、小説を書く人間から言うと、いつどこにあっても現実社会の人と事件を細心の注意を払って観察し、長期間にわたって生活上の知識を蓄積し、書物の中で描写しようとする全てが心の中で完全に熟するのをまってから筆をとれば、おのずから全てが順調に進み、百八人の性質、心情、気質、姿、言葉遣いは、難なく生き生きと描き出せるということである。この見解は、創作過程の重要領域に深く入りこんでいる。(pp.424-428)

 

 金聖嘆の批評理論は八股文の影響を強く受けており陳腐である、というのは一般的に言われることですが、周氏が言うように、それ以上に彼の精緻な小説理論、特に人物形象に関するものは後世の批評家に大きな影響を与え、多くの研究者に注目されてきました。

 

 とはいえ、この小説理論は金聖嘆独自のものというわけではなく、彼は李卓吾の人物形象に対する認識の影響が大きく存在しているのです。このように李卓吾と金聖嘆は対立する「水滸観」を有する一方で、小説理論においてははっきりとした継承関係にあるのです。

 

 李卓吾にしろ金聖嘆にしろ、彼らが目指したのは「真」に迫った描写でした。世の中の「真」の道理を、作中人物の「真」の姿を、その場面の「真」の雰囲気を、どのように表現し、読者に伝えられるのか。彼らの批評には「真」に対する強い志向が窺えます。その意識は後人にも着実に受け継がれていきました。

 

 明清人の小説研究を概観すると、体験の蓄積、作品の構想、ジャンルの特徴、表現方法などの面はもとより、様々な面ですでに多くの成果をえていると認められる。中でも小説中の登場人物に対する探究はもっとも注目に値する。彼らは一般的に生活の真実に従って創作するよう心がけており、これはリアリズムの創作方法が要求するものである。睡郷居士は「二刻拍案驚奇序」で次のように述べている。「現在、世間で行なわれている小説は、ざっと百種もあるが、真を失う病気は、奇を好むことに起こる。奇が奇であることを知って、奇のないことこそが奇であるということを知らない。目の前の記述すべきことをさしおいて、議論の対象にならない空想の世界に遊ぶことは、画家で犬や馬を描くことをせず、幽霊やばけものを描く人が、「私は人の耳目を驚かすことだけを考えている」というようなものだ」。これは、この原則に従って創作を行なわない者への譴責である。いわゆる「奇のないことこそが奇であるということ」とは、リアリズムの原則に従って創作された作品が、平板で意外性がないように見えるが、生活の真実を反映しており、「奇」の効果をえられるというのである。作者がもしひたすら新奇さ奇妙さを追求したら、かえって人の耳目をおどろかせるだけで、「人を歌わせたり泣かせる」効果は生み出すことができない。ここで貴重なことは、睡郷居士がロマン主義的創作方法を運用して生み出された「奇」を、一般の「奇」から区別していることである。「『西遊記』のように、荒唐無稽で不合理な作品であって、読者のだれもがその誤りがわかるようなものがある。しかしその内容について見ると、三蔵法師孫悟空沙悟浄猪八戒の師弟四人は、それぞれ別個の性質、心情をもち、それぞれ別個の動作ふるまいをする。こころみに彼らの言葉や行動の一つをとりあげ、誰のものかあてさせても、はっきりとどの人物のものかが分かる。というのは、まさしく幻想の中に真実があることこそが、本質を伝えるということだからである」。ここでは、『西遊記』中の性格描写をたいへん肯定的に評価している。『西遊記』の登場人物は非現実的であり、物語自体も非現実的であるが、彼らは単に人の耳目を驚かす幽霊ばけものではなく、作者も決して議論の対象にもならない空想の世界に遊んでいるのではない。『西遊記』は幻想の中に真実を宿すことで、本質を伝えることができたのである。ここでの『西遊記』の「真」に対する叙述は、ロマン主義作品における芸術的真実の問題に触れているのではないだろうか。(pp.429-430)

 

 以上で本章の内容は終わりとなります。今回は第十章を扱いましたが、以前記載した目次を見れば分かる通り、本書の内容は中国古典文学批評全般を扱っています。先秦から明清まで、まずは皆さんの興味に従ってお読みいただくだけで良いかと思います。本書は幅広い読者を満足させることができる一冊だと思います。

 

ぴこ