聚義録

毎月第1・3水曜日更新

『水滸伝』本文校勘の意義:小松謙『水滸傳と金瓶梅の研究』

 小松謙氏は『水滸伝』テキストの校勘の意義について次のように述べます。

 

 『水滸傳』の諸本間に多くの本文異同があることは周知の通りである。いわゆる繁本と簡本が大きく本文を異にすることはいうに及ばないが、繁本・簡本同士の間にあってもかなりの異同が認められる。ただ、その異同のレベルを『三國志演義』と比較すれば、比較にならないほど小さいといってよい。

 

〔…〕

 

 從って、『水滸傳』の本文異同を研究しても、『三國志演義』の場合のようにその成立過程を浮き彫りにすることはできない。しかし、これは『水滸傳』の本文の異同には研究する價値がないことを意味するものではない。『水滸傳』は、「四大奇書」の筆頭として後世に大きな影響を及ぼしたという意味における文學史上に占める地位、「中國語」の原型となった白話文を確立した存在という語學史上に占める地位、そのいずれの面からいっても極めて重要な研究對象である。また、『水滸傳』の本文異同が微細なものであることは、一方では表現や言語が洗練されていく過程を細かく追跡しやすいということを意味する。この點で、本文校勘を通して分析を加える素材としては最適のものといってよい。〔小松謙『水滸傳と金瓶梅の研究』(汲古書院、2020)、pp.19-20〕

 

 そして『水滸伝』の本文異同の詳細な分析により、次の3点の解明が可能であるとします。

 

版本学・出版史的問題・・・版本間の関係を明らかにすることができる

文学的問題・・・本文の成立と変貌の過程(テクストの生成過程)を明らかにすることができる

語学的問題・・・白話文の成立過程を跡づけることができる

 

 本文校勘による研究というと、おそらく①について論じたものが多いと思います。白話小説の研究で言えば、小松氏の他に、例えば氏岡真士氏の一連の『水滸伝』研究*1や中川諭氏の一連の『三国志演義』研究*2なども、専ら①に焦点を当てて各版本の継承関係や発展過程を解明しています。これらの中では①が最初に解決すべき問題であって、②③は①が解明されてはじめて手を付けられるものです。②③もそうですが、例えば金聖嘆本研究や毛宗崗本研究なども、その底本が明らかになっていなければ論じようがありませんし、地道な校勘作業から得られるもの、そしてその成果を踏まえた研究の発展性を考えると、①の問題の重要度の高さが理解できるかと思います。

 

 さて、②③について詳しい説明がなされていますので見てみましょう。

 

②本文の成立と變貌の過程を明らかにすることができる。換言すれば、テクストの生成過程を解明する手段となりうる。(文學的問題)

 

 ①の成果を踏まえた上で、校勘作業により、いわゆる生成論的研究を行うことが可能になる。白話文學作品の多く(特に明代までのもの)は、近代文學のように一人の作家が創作したものではない。從って、たとえばフローベールについて行われているような、作者が殘した草稿による本文改變の過程の追跡による生成論的研究は不可能である。しかし、版本間で改變が繰り返されているということは、その全體像を把握することにより、その作品がどのようにして「生成」したかを解明することができることを意味する。つまり白話文學においては、版本間の異同を把握することにより、その作品がどのように變化していったかをたどることができるのであり、これは近代文學において作家がどのようにして作品を創作していったかを解明することと同様の意味を持つ。違いは、「作家」が複數であることであり、更に、そこには商業・政治等の社會的要因が密接に關わる點にある。そこから逆に、社會と文學の關わりを解明することが可能になる。これを①の成果とあわせて考察することは、大衆による樂しみのための讀書という行爲がいかに成立・發展してきたかについて考える上で重要な意味を持つ。この點については、第三章で更に詳述する。

 


③白話文の成立過程を跡づけることができる。(語學的問題)

 

 諸版本間に見られる異同を、本文の成立時期や刊行主體と結びつけて追っていくことにより、白話文がどのように變化していったかを明らかにすることができる。白話とは、口頭語語彙を使用する書記言語のことである。元來正式な書記言語としての意識を持たずに文字化された以上、當初は口頭言語の寫しとしての性格が強かったはずである。從って、表記も確定せず、文法的にも破格のものを多く含んでいたに違いない。それが次第に洗練され、書記言語として自立するに至る。『水滸傳』において一應の完成を見た白話文が今日の「中國語」の原型となっている點から考えれば、これは「中國語」の成立過程を再現することである。〔同書、pp.21-22〕

 

 『水滸傳と金瓶梅の研究』は第一部第一章「『水滸傳』諸本考」と第二章「『水滸傳』石渠閣補刻本本文の研究」で①の問題を、第三章「『水滸傳』本文の研究――文學的側面について――」で②の問題を、第四章「『水滸傳』本文の研究――「表記」について――」で③の問題を論じており、第五章「金聖歎本『水滸傳』考」では②③を合わせて扱っています。

 

 ②については、講釈などの芸能と密接に関わりを持って発展してきた白話小説が、次第に芸能的要素を排除して「小説」として自立していく過程を追っています。この過程には「語り」の問題が大いに関わっています。この「語り」の問題は近年非常に注目されています。最近のもので言えば、例えば佐髙春音氏が『水滸伝』や『三国志演義』の語りや視点に関する論文*3を発表しています。

 

 ③については、口語由来であるがために不安定だった白話語彙の表記が模索、統一され、自立した書記言語として確立した過程について論じています。表記の問題に関する先行研究は、例えば佐藤晴彦氏の方位詞・語気詞「li」の研究*4があります。他にも「jiao(教、叫)」や「de(的、得)」の問題などがこれに当たります。

 

 私は大学の先生から「真実はディテールに宿る」と教わってきました。本文校勘で得られる情報のひとつひとつは小さなものに過ぎません。しかし、そういった小さな手掛かりが積み重なることで白話小説全体の発展過程が明らかになるというのは、まさにこの言葉を体現しているように思われます。

 

ぴこ

*1:氏岡真士「三十卷本『水滸傳』について」(『日本中国学会報』第63集、pp.95-109、2011-10)、同氏「容与堂本『水滸伝』3種について」(『中国古典小説研究』第19号、pp.1-20、2016-3)など多数。

*2:中川諭『『三國志演義』版本の研究』(汲古書院、1998)など。

*3:佐髙春音「『水滸傳』の語りをめぐる考察 : 人物描寫を中心に」(『東方学』第126輯、pp.71-88、2013-7)、同氏「毛宗崗本『三國志演義』の「視點」をめぐる改變」(『東方学』第136輯、pp.57-71、2018-07)、同氏「金聖歎本『水滸伝』の批評に見える「眼中」について」(『慶應義塾中国文学会報』第4号、pp.40-60、2020-3)

*4:佐藤晴彦「容與堂本『水滸傳』成立の一側面」(『神戸外大論叢』第50巻第5号、pp.1-17、1999-10)

金文京『三国志演義の世界【増補版】』

 今回は『水滸伝』ではなく『三国志演義』に関する書籍を紹介します。金文京『三国志演義の世界【増補版】』(東方書店、2010)白話小説を研究する者の必読書(私はそう教わりましたし、私もそう思います)で、私は学部生時代に本書からさまざまな研究手法・研究視点を学びました。白話小説研究の入門書としては、以前紹介した井波律子『中国の五大小説(上・下)』(岩波新書、2008)が挙げられますが、本書も非常に読みやすくオススメの一冊です。本書が白話小説研究に必要な視点を提示しているということは、本書の構成を見ればおそらく分かっていただけるかと思います。

 

 一 物語は「三」からはじまる

 二 『三国志』と『三国志演義』:歴史と小説

 三 『三国志』から『三国志演義』へ:歴史から小説へ

 四 羅貫中の謎

 五 人物像の変遷

 六 三国志外伝:『花関索伝』

 七 『三国志演義』の出版戦争

 八 『三国志演義』の思想

 九 東アジアの『三国志演義

 

 まず第一章は本書の導入部で、「三国志」の「三」に含まれるなどについて考察しつつ、読者を「三国志演義の世界」に誘います。

 

●視点①:史実との比較

 第二章は、小説『三国志演義』が『後漢書』・『三国志』・『資治通鑑』といった歴史書をどのように取り込んで書かれたのか、つまり「実」と「虚」をどのように組み合わせているのかについて、多くのパターンに分けて具体的に述べています。そのパターンとは例えば、「史実の前後を入れかえる」、「複雑な史実を単純化、一本化する」、「別々の事がらをひとつに結びつける」などといったものです。

 

●視点②:成立史の研究

 第三章は、『三国志演義』がどのような過程を経て白話小説として成立したのか、その変遷過程を概説しています。本章は、第一節「唐代以前「三国志」物語の源流」、第二節「宋元時代「三国志」物語の形成」、第三節「明清代『三国志演義』の成立」に分かれており、各時代における「三国志」ものの文芸の発展について整理されています。

Cf.)後藤裕也『語り物「三国志」の研究』(汲古書院、2013)小松謙『中國白話小説研究 演劇と小説の關わりから』(汲古書院、2016)など

 

●視点③:作者研究

 第四章は言わずもがな、作者とされる羅貫中について論じる章です。『水滸伝』の作者とされることもある羅貫中ですが、その出自などについては様々に議論されてきました。白話小説の作者というのは盛んに議論されているテーマのひとつです(『水滸伝』の施耐庵にしろ、『金瓶梅』の笑笑生にしろ)。

 

●視点④:キャラクター論研究

 『三国志演義』には数え切れないほどの人物が登場します。登場人物にどのような個性が付与され、どのような人物として描かれているのかというのは文学研究においては比較的ポピュラーな研究視点だと思います。史実や小説以前の文芸と比較することで、その人物がどのように評価されたのか考察することができます。この視点は後述する版本の間でも応用可能で、白話小説批評の領域とも親和性の高い研究手法です。

Cf.)仙石知子『毛宗崗批評『三國志演義』の研究』(汲古書院、2017)など

 

●視点⑤:民間伝承との関わり

 「三国志」をもとにして民間で形成され語り継がれた物語として『花関索伝』というものがあります。『三国志演義』の版本の中には、関羽の息子関索が登場するものと登場しないものがあり、『花関索伝』の存在は『演義』の成立史研究や版本研究にとって重要なものと言えます。

Cf.)井上泰山ほか『花関索伝の研究』(汲古書院、1989)など

 

●視点⑥:版本研究・出版研究

 第七章は『三国志演義』の版本系統について整理し、当時の出版状況について述べています。明代は白話小説の商業出版が非常に盛んになった時代であり、その影響で版本が様々に分化し、出版されていました。文学研究をする上で当然ながらそのテキストに触れないわけにはいきません。しかし、様々な版本が刊行されている場合、一体どのテキストに依拠すればよいのか考える必要が出てきます。研究の目的からして最も妥当性の高いテキストを選ばなければなりません。また版本の理解のためには、どこからどのように出版されたかを考えなければならない場合もあります。

Cf.)中川諭『『三國志演義』版本の研究』(汲古書院、1998)井口千雪『三國志演義成立史の研究』(汲古書院、2016)など

 

●視点⑦:思想研究

 第八章は『三国志演義』の背景にある思想的側面について論じた章で、特に五行思想や正統(正閏)論について紙幅を割いています。『三国志演義』で言えば、他にも「仁」・「義」・「忠」といった概念に関する研究も思想研究のひとつと言えるでしょう。

 

Cf.)仙石知子『毛宗崗批評『三國志演義』の研究』(汲古書院、2017)など

 

●視点⑧:受容史研究

 第九章は『三国志演義』が東アジア(朝鮮半島・日本)にどのような影響を与えたのかについて述べています。日本に白話小説が渡来したのは江戸時代で、昨今は白話小説の日本での受容・発展に関する研究が盛んに行われている印象があります。

Cf.)長尾直茂『本邦における三国志演義受容の諸相』(勉誠出版、2019)など

 

 

 さて、ざっと簡単に本章の構成とそれぞれの研究視点について紹介してきました。これらの視点は白話小説研究のみならず、古今東西様々な文学研究においても用いられているものだと思います。私は本書を読んで、自分の興味を知ることができました。もし自分の興味関心がどこにあるのか知りたいのであれば、本書を通読して確認してみるのもいいかもしれません。

 

 今後は『水滸伝』だけに限ることなく、白話小説に関する書籍や論文なども紹介していけたらと思っています。では今回はここまで。

 

ぴこ

盛巽昌補証『水滸伝補証本(増訂版)』

 今回は盛巽昌補証『水滸伝補証本(増訂版)』(上海書店出版社、2019)という書籍を紹介します。

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 本書の内容を簡潔に言えば、『水滸伝』の内容について注釈を付け、その典故や関連事項を解説したものです。例えば、第一回の冒頭にはこのように注釈が付けられています。

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 黄霖氏は序文で、本書が有する価値として以下の4点を挙げています。

①本書は人物、故事、ひいては細部の事跡を掘り起こすものであり、それによって作者の創意工夫を味わうことができる。

②注釈の中には『水滸伝』作者の研究に関連するものがある。

③注釈の中には『水滸伝』版本の研究に資する材料となるものがある。

④注釈の中には『水滸伝』成書時期の考証に言及するものがある。

 

 ②③④はもちろん『水滸伝』の成立・発展過程を知るために非常に重要な指摘ですが、本書の一番の特徴は①にあると思います。『水滸伝』に登場する人物や個々のストーリーなどの中には元ネタがあるものも沢山ありますが、それを自分自身で探し出すのは決して容易なことではありません。例えば、第95回の張順の死に関する一連の描写は南宋末の軍人張順の戦死の記載(『宋史』巻450)が元ネタになっているもので、注釈では原典を引用しながら説明しています。他にも好漢たちの渾名についての解説、詩詞の典故、水滸戯との比較などなど、その言及は多岐に亘ります。このような情報を知ることで作品の奥深さを味わうことができるのみならず、研究をする上でも大変勉強になることばかりです。

 

 また本書は増訂版で、2010年に出た初版と比べて、注釈が100箇所増え、130箇所で補足・訂正されています(増訂版裏表紙参照)。「補証本」シリーズには同じく盛氏の手による『三国演義補証本』(初版2007、増訂版2018)もあり、三国志が好きな方にはこちらもオススメです。

 

ぴこ

あけましておめでとうございます

 新年あけましておめでとうございます。皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

 昨年に聚義録を開設してから10ヶ月ほど経ちました。当初はどれだけ読んでいただけるものか思っておりましたが、想像以上に多くの方々にお読みいただき、そのことが大変励みになりました。ありがとうございました。

 

 2022年も引き続き、皆様に少しでも興味を持っていただけるような記事を書けるように頑張っていきたいと思います。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

ぴこ

懐林「批評水滸伝述語」を読む

  以前、李卓吾「忠義水滸伝叙」を読みましたが、容与堂本(百回本)には李卓吾の序文の他に、懐林の署名が附せられた「批評水滸伝述語」・「梁山泊一百単八人優劣」・「水滸伝一百回文字優劣」・「又論水滸伝文字」が収録されています。今回はそれらの中で、「批評水滸伝述語」(以下、「述語」)を読んでいきたいと思います。これらの文章については管見の限り全訳はありませんので、基本的に拙訳で読み進めたいと思います。誤訳などあればご教示ください。

 

 和尚自入龍湖以來、口不停誦、手不停批者三十年、而『水滸傳』、『西廂曲』、尤其所不釋手者也。一肚皮不合時宜、而獨水滸傳足以發抒其憤懣、故評之爲尤詳。據和尚所評『水滸傳』玩世之詞十七、持世之語十三。然玩世所亦倶持世心腸也、但以戲言出之耳。高明者自能得之語言文字之外。

 

〔訳〕

 和尚(李贄)が龍湖に移り住んで以来、口では説き続け、手では批評し続けて三十年、『水滸伝』と『西廂記』は最も手放せないものであった。腹中に抱く思いは時宜に合わなかったが、ただ『水滸伝』だけはその憤懣を表現するのに十分であったため、『水滸伝』に対する批評は最も詳細であった。和尚が批評した『水滸伝』に基づけば「玩世(世間の有り様を茶化す)」の語が七割、「持世(社会形態を維持しようとする)」の語が三割を占め、そして「玩世」の語にも「持世」への思いが備わっているが、ただ戯言でもって「持世」への思いを表現しているのである。見識の優れた者であれば、言外からこのことをおのずから読み取ることができる。

 

 

 『水滸傳』訛字極多、和尚謂不必改正、原以通俗與經史不同故耳。故一切如代爲帶、的爲得之類、倶照原本不改一字。和尚評語中亦有數字不可解、意和尚必自有見、故一如原本云。

 

〔訳〕

 『水滸伝』には誤字が極めて多いが、和尚は「改める必要はない、もとより通俗文学と経史とでは異なるからである」と言った。そのため一切の「代」を「帯」としていたり、「的」を「得」としていたりといった類のものは、全て原本に基づいて一字たりとも改めなかった。和尚の評語の中にもいくつか意味を解釈できない字があるが、思うに和尚には必ず達見が備わっているはずであるため、原本の記載と全く同じにしている。

 

 

 和尚又有『清風史』一部、此則和尚手自刪削而成文者也、與原本『水滸傳』絶不同矣。所謂太史公之豆腐帳、非乎。和尚讀『水滸傳』、第一當意黑旋風李逵、謂爲梁山泊第一尊活佛、特爲手訂『壽張縣令黑旋風集』。此則令人絶倒者也、不讓『世説』諸書矣。藝林中亦似少此一段公案不得。

 小沙彌懷林謹述 [割注]本衙已精刻『黑旋風集』、『清風史』將成矣。不日卽公海内、附告。

 

〔訳〕

 和尚にはまた『清風史』がある。これは和尚が自らの手で削って作成したものであり、『水滸伝』原本とは全く異なったものである。所謂「太史公の出納帳」のような羅列が記述されているだけのものなのではないだろうか。和尚は『水滸伝』を読み、黒旋風李逵を最も気に入り、彼を梁山泊第一の生き仏だと考えて、わざわざ手ずから『寿張県令黒旋風集』を校訂した。これは人々を大いに笑わせるもので、『世説新語』などの書にも劣らない。文学界にもこの一段のような裁判ものは不可欠だろう。

 小沙弥懐林謹んで述す[割注]本局は既に『黒旋風集』、『清風史』を印刻し完成させつつある。近いうちに天下に公開することを、ここに通告する。

 

 そもそも「懐林」とはどういう人物なのでしょうか。懐林は実在した人物で、李卓吾の侍者であり、『焚書』「三大士像議」「哭懐林」などにも登場します。しかし一般的には、この文章を書いた人物は懐林ではなく、葉昼という人物による偽託であると言われています(※また、李卓吾による評語も同様に葉昼による偽託と見做されています)。それは例えば銭希言『戯瑕』巻三「贋籍」に「〔葉昼は〕近く『黒旋風集』を世に出し…」とあり、「述語」の内容と一致することが根拠の一つとして挙げられます*1

 

 李卓吾の名が冠されたテキストと葉昼による偽託については今回は詳しくは述べませんが、やや古いものから挙げれば、例えば葉朗『中国小説美学』(北京大学出版社、1982年)、寧宗一『中国小説学通論』(安徽教育出版社、1995年)、陳洪『中国小説理論史』(天津教育出版社、2005年)などで検討がなされてきました。葉昼の名はあまり世に知られてはいないと思いますが、明清の白話小説批評史において、李卓吾に後続する重要な人物と言うことができるでしょう。

 

 さて、短いですが今回はこれで終わりです。ではまた次回。

 

ぴこ

*1:黄霖編・羅書華撰『中国歴代小説批評史料彙編校釈』(百花洲文芸出版社、2009年)、p.221参照。

金聖嘆「読第五才子書法」を読む(9)

 さて今回も「読法」を読んでいきましょう。

 

【55】

有綿針泥刺法。如花榮要宋江開枷、宋江不肯、又晁蓋番番要下山、宋江番番勸住、至最後一次便不勸是也。筆墨外、便有利刃直戳進來。

 

 〔訳〕

綿針泥刺法というものがある。例えば、花栄宋江に枷を外させようとしても、宋江はそれを承知せず、また晁蓋は度々下山しようとしたが、宋江は度々それを諌め、最後の一度だけは諌めなかったことがそれにあたる。文章には見えないところで、鋭い刃がまっすぐに向けられているのである。

 

 閻婆惜殺害の罪で護送されていた宋江は、道中あれやこれやありまして一旦梁山泊に上ることとなりました。そのとき、花栄宋江の枷を外させようとすると、宋江は国の決めたことなんだからとんでもない、と拒否します(第35回)。ここに金聖嘆は「花栄真」、「宋江假」と評語を附しています。つまり、この花栄の言動は花栄のまことの心から出たものであり、それに対する宋江の言葉は宋江の実際の心とは裏腹なものであることを指摘しているのです。金聖嘆に言わせれば、宋江の言動は自らの国への忠誠心をアピールするためのものに過ぎず、本心から出たものではないわけです。このような場面に出会したとき、金聖嘆は「権詐だ!」と繰り返し繰り返し声高に訴えます。

 

 続けて述べられる、下山しようとする晁蓋とそれを諌める(あるいは諌めない)宋江については、中鉢雅量『中国小説史研究――水滸伝を中心として――』(汲古書院、1996)で詳しく説明されているので、その一部を引用します。

 

 また金聖嘆によれば宋江は絶えず梁山泊の第一位の椅子を狙っていたという。晁蓋宋江とが共に梁山泊に在った時、どこかへ兵を動かす際には宋江はいつも「晁蓋兄は山寨の主だから軽々しく動かない方がよい」と言って自分が総指揮として出陣したが、金聖嘆に言わせればこれは晁蓋を軟禁して戦功を自分のものにしようとの宋江の企みであり、だから晁蓋が曾頭市で倒れてからも宋江は一向に晁蓋の仇を討とうとしなかったのだという。

 この、宋江晁蓋をないがしろにしたという点も金聖嘆の強弁である。晁蓋が曾頭市に出征しようとした時、宋江は少しも止めなかったと金聖嘆は主張するが(五九回)、もとの水滸伝(百回本や百二十回本)では、宋江晁蓋に思い止まるよう懸命に諌めたとあり、金聖嘆はそれらの原文を削除してそう主張するのだから話にならない。また金聖嘆は宋江晁蓋の仇を討とうとしなかったと主張するために、次のような原文の改竄を敢行している。晁蓋が曾頭市で戦死し、梁山泊で喪儀が行なわれた後、宋江は衆頭領に推されて臨時に第一位の椅子に坐る。百回本や百二十回本では、宋江はこの後直ぐに晁蓋の仇に報いるための兵を起こそうとしたが、呉用に諫止されたとある。

 

〔引用原文省略〕

他日、宋江は衆を聚めて相談し、晁蓋の仇を討つため、兵を起こして曾頭市を打とうとした。軍師呉用が諫めて言う、「兄上、庶民が喪に居る場合ですら軽々しく行動すべきでありません。兄上が兵を起こすのは、百日たってからそうすべきで、それでも遅くはありません」。宋江は呉学究の言に依り、山寨を守って喪に服し、毎日仏事を修め、ひたすら功徳を積み、晁蓋を追善供養した。


 金聖嘆はこの箇所を次のように改めた。

 

〔引用原文省略〕

次の日、宋江は衆を聚めて相談し、言った。本来は、晁天王の仇を討つため、兵を起こして曾頭市を打とうと思ったが、庶民が喪に居る場合ですら軽々しく行動すべきでなく、百日たってから挙兵してもよいのではないかと思い直したと。衆頭領は宋江の言に依り、山寨を守り、毎日仏事を修め、ひたすら功徳を積み、晁蓋を追善供養した。

 

 つまり原文によれば宋江呉用の諫めに従って報仇のはやる心を押し止めたのであるが、金聖嘆によれば宋江が自らの判断で中止したことになる。金聖嘆はこう原文を改竄した後で次のような批語を挿入している。

 

俗士必将以此為孝、不知此正大書宋江之緩于報仇也。
俗士は必ず宋江のこの発議を以て宋江は服喪の念が厚いと思うだろうが、これは、宋江晁蓋の仇討ちを後まわしにするのを大書していることに気付かないのである。

 

 金聖嘆は、原文に忠実に宋江像を読み取ってそれを批判するというより、先ず憎むべき宋江像を心中に描いておいて、それに沿って時には白を黒と言いくるめ、時には原文を改竄してまでやみくもに攻撃するといった趣きが強い。金聖嘆のこうしたやり方こそまさに権詐の名に値しよう。(第Ⅱ部第5章「金聖嘆の水滸伝観」、pp.234-235)

 

 晁蓋の死をめぐる一連の描写には、金聖嘆にとっての宋江イメージがはっきりと反映されていると言えます。この場面においても、金聖嘆は「権詐」といった評語を使って宋江を評します。つまり、ここで宋江晁蓋のことを思って彼の下山を諌める、あるいは諌めないといった言動はあくまで表面的なものに過ぎず、内心では自身の目的(梁山泊第一位の席につくこと)を達成することしか考えていない、と金聖嘆は評しているわけです。

 

 では「綿針泥刺法」の意味するところを考えてみましょう。「綿針泥刺」とは「外面は綿や泥であるが、実際その中には針や棘がある」ということで、「実際に文章として描かれているものと、その文章が真に描こうとしているものとは異なる」といったような意味でしょう。「文章には見えないところで、鋭い刃がまっすぐに向けられている」と合わせて考えますと、「実際に文章として描かれているものと、その文章が真に描こうとしているものとは異なっており、鋭い筆致でその本質を描出しようとする手法」といった感じになりましょうか(やや分かりづらいですが…)。

 

 

【56】

有背面鋪粉法。如要襯宋江奸詐、不覺寫作李逵真率。要襯石秀尖利、不覺寫作楊雄糊塗是也。

 

 〔訳〕

背面鋪粉法というものがある。例えば、宋江の悪賢さを際立たせようとして、知らずして李逵の率直さを描いたり、石秀の鋭敏さを際立たせようとして、知らずして楊雄の愚鈍さを描くようなことがそれにあたる。

 

この文法はある性質を有する人物を描写することで、相反する性質を有する人物をよりくっきりと描き出す手法です。この手法については、実は「読法」の【27】で既に詳しく説明されています。以下、【27】を再掲します。

 

※【27】(再掲)

只如寫李逵、豈不段段都是妙絶文字、却不知正爲段段都在宋江事後、故便妙不可言。蓋作者只是痛恨宋江奸詐、故處處緊接出一段李逵樸誠來、做箇形擊。其意思自在顯宋江之惡、却不料反成李逵之妙也。此譬如刺鎗、本要殺人、反使出一身家數。

 

 〔訳〕例えば李逵を描くのに、どの段もすべて素晴らしい文章であるが、どうしてその段はすべて宋江の事柄の後ろに置かれているのだろうか。思うに作者はただひどく宋江の権詐を憎んでいるので、あちこちで素朴で誠実な李逵の話とくっつけて、宋江の権詐を)浮き彫りにする。その意図は思い通りに宋江の悪を明らかにすることにあったが、かえって図らずも李逵の素晴らしさを引き立てるのだ。これは例えば槍を刺すのと同じで、元々は人を殺そうとしているのに、かえってその者の腕前を際立たせるようなものである。

 

このように、相反する性質を持つ二人を並べて配置することで、両者の人物像が互いに強調されます。石秀と楊雄も同様です。

 

 今回もあまり読み進めることができませんでしたが、焦らずいきましょう。ではまた次回。

 

ぴこ

金聖嘆「読第五才子書法」を読む(8)

 長らく更新が途絶えていた「金聖嘆「読法」を読む」シリーズですが、今回からまた読み進めていきます。「文法」の解釈は難解な部分も多いですが、適宜先行研究を参照しつつ、少しずつ読んでいけたらと思います。

 

【52】

有夾叙法。謂急切裏兩箇人一齊說話、須不是一箇說完了、又一箇說、必要一筆夾寫出來。如瓦官寺崔道成說師兄息怒(※)、聽小僧說、魯智深說你說你說等是也。

(※)第5回の該当部分は「師兄請坐」となっている。

 

 〔訳〕

夾叙法というものがある。切迫した中で二人が同時に話し出し、一方が言い終わらないうちに、もう片方が話し出す様子を、一筆差し挟んで描き出す必要があることを言う。例えば、瓦官寺の崔道成が「あにき、怒りを鎮めて、拙僧の話を聞いてください」と言い、〔それと同時に〕魯智深が「さあいえ、さあいえ」と言ったことなどがそれである。

 

 現実世界の会話というのは、必ずしも一人が言い終わってから、別の人が話し出すとは限りません。当然ながら複数人が同時に話し出すことも有り得るわけですが、文字を媒介とする文学作品ではそれを完全に表現するのは容易ではありません。そこで金聖嘆が用いた手法が「夾叙法」です。

 夾叙法については、拙稿「金聖嘆本『水滸伝』の会話場面」で詳しく論じておりますので、詳しくはそちらを見ていただけますと幸いですが、ここでは金聖嘆が読法に挙げた、金聖嘆本第5回の魯智深と崔道成の会話場面を見てみましょう。

 

●百二十回本

那和尚便道、「師兄請坐。聽小僧説。」智深睜眼道、「你說你說。」那和尚道、「在先敝寺〜

(和尚(=崔道成)はすぐに言った、「あにき、どうぞおかけなすって。拙僧の話を聞いてくだされ。」魯智深はかっと目を見開いて言った、「さあいえ、さあいえ。」和尚は言った、「以前はこの寺も〜)

 

●金聖嘆本

那和尚便道、「師兄請坐。聽小僧」智深睜眼道、「你說你說。」「。在先敝寺〜

(和尚はすぐに言った、「あにき、どうぞおかけなすって。拙僧の話を聞いてくだ」魯智深はかっと目を見開いて言った、「さあいえ、さあいえ。」「され。以前はこの寺も〜)

 

 夾叙法の用法は厳密にはいくつかありますが、これが最もわかりやすい例かと思います。ここで金聖嘆はテキストに改変を加えています。ここでの改変は大きく2点。

 

  ①:「聽小僧説」を分割し、「説」のみ後ろのセリフに統合

  ②:伝達節「那和尚道」を削除

 

この2点によって、崔道成が言い終わるのを待たずして、魯智深が興奮して口を挟んだ様子を描こうとしたのです。特に②は(例外はありつつも)夾叙法の特徴であると言えます。

 

 

【53】

有草蛇灰線法。如景陽岡勤叙許多哨棒字、紫石街連寫若干簾子字等是也。驟看之、有如無物、及至細尋其中便有一條線索、拽之通體俱動。

 

 〔訳〕

草蛇灰線法というものがある。例えば、景陽岡で念入りに多くの「哨棒」の字を記し、紫石街で続けざまにいくつもの「簾子」の字を書いていることなどがそれである。ぱっと見ただけでは、何も物が無いようであるが、細かく見ていくとその中に一筋の糸口があり、この糸口を手繰り寄せると全体が一緒になって動くのである。

 

 草蛇灰線法とは、ある特定の語句を繰り返し繰り返し用いる手法です。そして、その特定の語句が反復的に使用されると、金聖嘆は「●●一」「第二●●」などの評語を附して数え上げています。【52】に示されている例について言えば、第22回では「哨棒」(=警棒)が18回、第23〜25回では「簾子」(=すだれ)が16回も数え上げられています。

 場面を象徴するキーワードを繰り返し示すこの手法は、読者にその語句を意識させたり、一連の描写に統一感を持たせたりする効果があります。「其中便有一條線索、拽之通體俱動」とは、特定の語句(一條線索)の連続使用によって、一連の場面描写が連続性・統一性を有している(拽之通體俱動)ことを言っているのです。

 

 夾叙法と草蛇灰線法については、例えば北村真由美「『水滸傳』の文体――「金聖嘆本」の読法をめぐって」(『中国文学研究』第27期、pp.120-133、2001-12)などでも詳しく論じられていますので、是非ご参照ください。

 

 

【54】

有大落墨法。如呉用說三阮、楊志北京鬬武、王婆說風情、武松打虎、還道村捉宋江、二打祝家莊等是也。

 

 〔訳〕

大落墨法というものがある。例えば、呉用が三阮を説得すること、楊志が北京で戦うこと、王婆が情愛を説くこと、武松が虎を打つこと、還道村で宋江を捕らえること、祝家荘を二度攻撃することなどがそれである。

 

 「大落墨法」について、ここでは特に説明がされていません。この手法について、第26回で、張青が妻・孫二娘に「まず第一に行脚している僧侶を殺してはならない」と常々言い付けていると武松に話した場面に次のような評語が見えます。

 

奇文。◯張青爲頭是最惜和尚、便前牽魯達、後挽武松矣。布格展筆、如畫家所稱大落墨也。

(素晴らしい文。◯張青がまず第一に和尚を大切にするというのは、先には魯達と繋がり、後ろには武松を引き出す。この配置や展開の筆法は、画家の言うところの「大落墨」の如くである。)

 

 「大落墨」の淵源と発展については、楊志平「釈”大落墨”――以《紅楼夢》張新之評本為中心」(『紅楼夢学刊』、2007年第5輯、pp.82-95)という論文があり、ここで詳しく論じられています。

 楊氏は、大落墨は南宋紹定年間の画家である胡彦竜の独特の画法に起源を持ち、それを金聖嘆が小説批評に持ち込んだと述べます。金聖嘆本における大落墨法は、作中人物の代表的な性質の描写呉用說三阮、楊志北京鬬武、王婆說風情、武松打虎、還道村捉宋江、あるいは複雑なストーリーの中において極めて重要な一連の場面の描写呉用說三阮、還道村捉宋江、二打祝家莊)に対して用いられており、それらを鮮明化する効果を有するとしています。またそこから考えると、先に引いた張青に対する「大落墨」は、張青が僧侶や道士と好んで契りを結ぶという特徴の強調を意図していると考察しています。

 

 私自身、中国絵画史や画法についての知識が足りず、前代までの画法や画論が金聖嘆の小説批評にどの程度影響を及ぼしたかについてこれ以上言及できませんが(CNKIで調べてみるとどうやらいくつか論文があるようですので今後勉強します)、大落墨法の例を見る限り、その影響は決して微々たるものではないように思われます。

 

 さて、やや短いですが、今回はここまでといたします。「読法」も段々と終盤に近づいてきました。読み終えるまでもう一息、頑張りたいと思います。ではまた。

 

ぴこ