聚義録

毎月第1・3水曜日更新

懐林「批評水滸伝述語」を読む

  以前、李卓吾「忠義水滸伝叙」を読みましたが、容与堂本(百回本)には李卓吾の序文の他に、懐林の署名が附せられた「批評水滸伝述語」・「梁山泊一百単八人優劣」・「水滸伝一百回文字優劣」・「又論水滸伝文字」が収録されています。今回はそれらの中で、「批評水滸伝述語」(以下、「述語」)を読んでいきたいと思います。これらの文章については管見の限り全訳はありませんので、基本的に拙訳で読み進めたいと思います。誤訳などあればご教示ください。

 

 和尚自入龍湖以來、口不停誦、手不停批者三十年、而『水滸傳』、『西廂曲』、尤其所不釋手者也。一肚皮不合時宜、而獨水滸傳足以發抒其憤懣、故評之爲尤詳。據和尚所評『水滸傳』玩世之詞十七、持世之語十三。然玩世所亦倶持世心腸也、但以戲言出之耳。高明者自能得之語言文字之外。

 

〔訳〕

 和尚(李贄)が龍湖に移り住んで以来、口では説き続け、手では批評し続けて三十年、『水滸伝』と『西廂記』は最も手放せないものであった。腹中に抱く思いは時宜に合わなかったが、ただ『水滸伝』だけはその憤懣を表現するのに十分であったため、『水滸伝』に対する批評は最も詳細であった。和尚が批評した『水滸伝』に基づけば「玩世(世間の有り様を茶化す)」の語が七割、「持世(社会形態を維持しようとする)」の語が三割を占め、そして「玩世」の語にも「持世」への思いが備わっているが、ただ戯言でもって「持世」への思いを表現しているのである。見識の優れた者であれば、言外からこのことをおのずから読み取ることができる。

 

 

 『水滸傳』訛字極多、和尚謂不必改正、原以通俗與經史不同故耳。故一切如代爲帶、的爲得之類、倶照原本不改一字。和尚評語中亦有數字不可解、意和尚必自有見、故一如原本云。

 

〔訳〕

 『水滸伝』には誤字が極めて多いが、和尚は「改める必要はない、もとより通俗文学と経史とでは異なるからである」と言った。そのため一切の「代」を「帯」としていたり、「的」を「得」としていたりといった類のものは、全て原本に基づいて一字たりとも改めなかった。和尚の評語の中にもいくつか意味を解釈できない字があるが、思うに和尚には必ず達見が備わっているはずであるため、原本の記載と全く同じにしている。

 

 

 和尚又有『清風史』一部、此則和尚手自刪削而成文者也、與原本『水滸傳』絶不同矣。所謂太史公之豆腐帳、非乎。和尚讀『水滸傳』、第一當意黑旋風李逵、謂爲梁山泊第一尊活佛、特爲手訂『壽張縣令黑旋風集』。此則令人絶倒者也、不讓『世説』諸書矣。藝林中亦似少此一段公案不得。

 小沙彌懷林謹述 [割注]本衙已精刻『黑旋風集』、『清風史』將成矣。不日卽公海内、附告。

 

〔訳〕

 和尚にはまた『清風史』がある。これは和尚が自らの手で削って作成したものであり、『水滸伝』原本とは全く異なったものである。所謂「太史公の出納帳」のような羅列が記述されているだけのものなのではないだろうか。和尚は『水滸伝』を読み、黒旋風李逵を最も気に入り、彼を梁山泊第一の生き仏だと考えて、わざわざ手ずから『寿張県令黒旋風集』を校訂した。これは人々を大いに笑わせるもので、『世説新語』などの書にも劣らない。文学界にもこの一段のような裁判ものは不可欠だろう。

 小沙弥懐林謹んで述す[割注]本局は既に『黒旋風集』、『清風史』を印刻し完成させつつある。近いうちに天下に公開することを、ここに通告する。

 

 そもそも「懐林」とはどういう人物なのでしょうか。懐林は実在した人物で、李卓吾の侍者であり、『焚書』「三大士像議」「哭懐林」などにも登場します。しかし一般的には、この文章を書いた人物は懐林ではなく、葉昼という人物による偽託であると言われています(※また、李卓吾による評語も同様に葉昼による偽託と見做されています)。それは例えば銭希言『戯瑕』巻三「贋籍」に「〔葉昼は〕近く『黒旋風集』を世に出し…」とあり、「述語」の内容と一致することが根拠の一つとして挙げられます*1

 

 李卓吾の名が冠されたテキストと葉昼による偽託については今回は詳しくは述べませんが、やや古いものから挙げれば、例えば葉朗『中国小説美学』(北京大学出版社、1982年)、寧宗一『中国小説学通論』(安徽教育出版社、1995年)、陳洪『中国小説理論史』(天津教育出版社、2005年)などで検討がなされてきました。葉昼の名はあまり世に知られてはいないと思いますが、明清の白話小説批評史において、李卓吾に後続する重要な人物と言うことができるでしょう。

 

 さて、短いですが今回はこれで終わりです。ではまた次回。

 

ぴこ

*1:黄霖編・羅書華撰『中国歴代小説批評史料彙編校釈』(百花洲文芸出版社、2009年)、p.221参照。