聚義録

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金聖嘆「読第五才子書法」を読む(9)

 さて今回も「読法」を読んでいきましょう。

 

【55】

有綿針泥刺法。如花榮要宋江開枷、宋江不肯、又晁蓋番番要下山、宋江番番勸住、至最後一次便不勸是也。筆墨外、便有利刃直戳進來。

 

 〔訳〕

綿針泥刺法というものがある。例えば、花栄宋江に枷を外させようとしても、宋江はそれを承知せず、また晁蓋は度々下山しようとしたが、宋江は度々それを諌め、最後の一度だけは諌めなかったことがそれにあたる。文章には見えないところで、鋭い刃がまっすぐに向けられているのである。

 

 閻婆惜殺害の罪で護送されていた宋江は、道中あれやこれやありまして一旦梁山泊に上ることとなりました。そのとき、花栄宋江の枷を外させようとすると、宋江は国の決めたことなんだからとんでもない、と拒否します(第35回)。ここに金聖嘆は「花栄真」、「宋江假」と評語を附しています。つまり、この花栄の言動は花栄のまことの心から出たものであり、それに対する宋江の言葉は宋江の実際の心とは裏腹なものであることを指摘しているのです。金聖嘆に言わせれば、宋江の言動は自らの国への忠誠心をアピールするためのものに過ぎず、本心から出たものではないわけです。このような場面に出会したとき、金聖嘆は「権詐だ!」と繰り返し繰り返し声高に訴えます。

 

 続けて述べられる、下山しようとする晁蓋とそれを諌める(あるいは諌めない)宋江については、中鉢雅量『中国小説史研究――水滸伝を中心として――』(汲古書院、1996)で詳しく説明されているので、その一部を引用します。

 

 また金聖嘆によれば宋江は絶えず梁山泊の第一位の椅子を狙っていたという。晁蓋宋江とが共に梁山泊に在った時、どこかへ兵を動かす際には宋江はいつも「晁蓋兄は山寨の主だから軽々しく動かない方がよい」と言って自分が総指揮として出陣したが、金聖嘆に言わせればこれは晁蓋を軟禁して戦功を自分のものにしようとの宋江の企みであり、だから晁蓋が曾頭市で倒れてからも宋江は一向に晁蓋の仇を討とうとしなかったのだという。

 この、宋江晁蓋をないがしろにしたという点も金聖嘆の強弁である。晁蓋が曾頭市に出征しようとした時、宋江は少しも止めなかったと金聖嘆は主張するが(五九回)、もとの水滸伝(百回本や百二十回本)では、宋江晁蓋に思い止まるよう懸命に諌めたとあり、金聖嘆はそれらの原文を削除してそう主張するのだから話にならない。また金聖嘆は宋江晁蓋の仇を討とうとしなかったと主張するために、次のような原文の改竄を敢行している。晁蓋が曾頭市で戦死し、梁山泊で喪儀が行なわれた後、宋江は衆頭領に推されて臨時に第一位の椅子に坐る。百回本や百二十回本では、宋江はこの後直ぐに晁蓋の仇に報いるための兵を起こそうとしたが、呉用に諫止されたとある。

 

〔引用原文省略〕

他日、宋江は衆を聚めて相談し、晁蓋の仇を討つため、兵を起こして曾頭市を打とうとした。軍師呉用が諫めて言う、「兄上、庶民が喪に居る場合ですら軽々しく行動すべきでありません。兄上が兵を起こすのは、百日たってからそうすべきで、それでも遅くはありません」。宋江は呉学究の言に依り、山寨を守って喪に服し、毎日仏事を修め、ひたすら功徳を積み、晁蓋を追善供養した。


 金聖嘆はこの箇所を次のように改めた。

 

〔引用原文省略〕

次の日、宋江は衆を聚めて相談し、言った。本来は、晁天王の仇を討つため、兵を起こして曾頭市を打とうと思ったが、庶民が喪に居る場合ですら軽々しく行動すべきでなく、百日たってから挙兵してもよいのではないかと思い直したと。衆頭領は宋江の言に依り、山寨を守り、毎日仏事を修め、ひたすら功徳を積み、晁蓋を追善供養した。

 

 つまり原文によれば宋江呉用の諫めに従って報仇のはやる心を押し止めたのであるが、金聖嘆によれば宋江が自らの判断で中止したことになる。金聖嘆はこう原文を改竄した後で次のような批語を挿入している。

 

俗士必将以此為孝、不知此正大書宋江之緩于報仇也。
俗士は必ず宋江のこの発議を以て宋江は服喪の念が厚いと思うだろうが、これは、宋江晁蓋の仇討ちを後まわしにするのを大書していることに気付かないのである。

 

 金聖嘆は、原文に忠実に宋江像を読み取ってそれを批判するというより、先ず憎むべき宋江像を心中に描いておいて、それに沿って時には白を黒と言いくるめ、時には原文を改竄してまでやみくもに攻撃するといった趣きが強い。金聖嘆のこうしたやり方こそまさに権詐の名に値しよう。(第Ⅱ部第5章「金聖嘆の水滸伝観」、pp.234-235)

 

 晁蓋の死をめぐる一連の描写には、金聖嘆にとっての宋江イメージがはっきりと反映されていると言えます。この場面においても、金聖嘆は「権詐」といった評語を使って宋江を評します。つまり、ここで宋江晁蓋のことを思って彼の下山を諌める、あるいは諌めないといった言動はあくまで表面的なものに過ぎず、内心では自身の目的(梁山泊第一位の席につくこと)を達成することしか考えていない、と金聖嘆は評しているわけです。

 

 では「綿針泥刺法」の意味するところを考えてみましょう。「綿針泥刺」とは「外面は綿や泥であるが、実際その中には針や棘がある」ということで、「実際に文章として描かれているものと、その文章が真に描こうとしているものとは異なる」といったような意味でしょう。「文章には見えないところで、鋭い刃がまっすぐに向けられている」と合わせて考えますと、「実際に文章として描かれているものと、その文章が真に描こうとしているものとは異なっており、鋭い筆致でその本質を描出しようとする手法」といった感じになりましょうか(やや分かりづらいですが…)。

 

 

【56】

有背面鋪粉法。如要襯宋江奸詐、不覺寫作李逵真率。要襯石秀尖利、不覺寫作楊雄糊塗是也。

 

 〔訳〕

背面鋪粉法というものがある。例えば、宋江の悪賢さを際立たせようとして、知らずして李逵の率直さを描いたり、石秀の鋭敏さを際立たせようとして、知らずして楊雄の愚鈍さを描くようなことがそれにあたる。

 

この文法はある性質を有する人物を描写することで、相反する性質を有する人物をよりくっきりと描き出す手法です。この手法については、実は「読法」の【27】で既に詳しく説明されています。以下、【27】を再掲します。

 

※【27】(再掲)

只如寫李逵、豈不段段都是妙絶文字、却不知正爲段段都在宋江事後、故便妙不可言。蓋作者只是痛恨宋江奸詐、故處處緊接出一段李逵樸誠來、做箇形擊。其意思自在顯宋江之惡、却不料反成李逵之妙也。此譬如刺鎗、本要殺人、反使出一身家數。

 

 〔訳〕例えば李逵を描くのに、どの段もすべて素晴らしい文章であるが、どうしてその段はすべて宋江の事柄の後ろに置かれているのだろうか。思うに作者はただひどく宋江の権詐を憎んでいるので、あちこちで素朴で誠実な李逵の話とくっつけて、宋江の権詐を)浮き彫りにする。その意図は思い通りに宋江の悪を明らかにすることにあったが、かえって図らずも李逵の素晴らしさを引き立てるのだ。これは例えば槍を刺すのと同じで、元々は人を殺そうとしているのに、かえってその者の腕前を際立たせるようなものである。

 

このように、相反する性質を持つ二人を並べて配置することで、両者の人物像が互いに強調されます。石秀と楊雄も同様です。

 

 今回もあまり読み進めることができませんでしたが、焦らずいきましょう。ではまた次回。

 

ぴこ