聚義録

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周勛初著/高津孝訳『中国古典文学批評史』(2)

 さて、今回は前々回の記事の続きで、周勛初著/高津孝訳『中国古典文学批評史』を読んでいきたいと思います。第十章の「李贄と金人瑞の小説理論」(pp.419-433)を読み進めていきます。李贄とは李卓吾、金人瑞とは金聖嘆のことです。本書のこの章は李卓吾と金聖嘆の批評の特徴を簡潔にまとめています。

 

 市民階層が中国社会においてしだいに重要な社会的地位を占めるにつれて、通俗文学も発展してきた。戯曲、小説は、元明代にあって大きく発展し、見識の高い文人、特に市民意識をそなえた文人は、戯曲、小説の価値を重視しはじめた。李贄は小説を儒教経典と並ぶ重要な地位にまで押しあげた思想家である。

 

  李贄は常にこう言っていた。宇宙の中には五つの偉大な文学作品がある。漢には司馬遷の『史記』がある。唐には杜甫の詩集がある。宋には蘇軾の詩文集がある。元には施耐庵の『水滸伝』がある。明には李夢陽の詩文集がある、と。(引用者注:周暉『金陵瑣事』巻一・五大部文章)

 

 詩文に批評圏点[短いコメントや、優れた字句の横に引かれた強調記号の点や線]を加えることは、以前から有ったが、小説に批評圏点を加えることは、李贄に始まる。これは中国古代の文学批評における特殊な形式である。思想家としての李贄は、小説に批評圏点を加えることで自らの思想を発表する一つの手段とした。彼は作品中の人物、事件を評論する際、つねに明代社会の好ましからぬ現象にそれを関連づけ、攻撃を加えた。さらに、彼は文学様式としての小説に対して芸術上の観点からも分析を加えた。(p.419)

 

 李卓吾は自身の思想を表現するため、小説への批評を大いに活用しました。批評者が注目した字句には圏点が附せられ、行間や上部などに評語が書き加えられています。

 では、ここに言う「芸術上の観点」からの分析とはどのようなものか、その具体例が次々に挙げられます。 

 

 李贄は小説を文学として認め、虚構等の芸術手段の重要性を肯定した。『李卓吾先生批評三国志』四十五回、「群英会に蒋幹計に中る」の評ではこう述べている。「これらの計略は、児戯に等しい。知らないものはすぐれた計略と思うのである。まことに通俗演義[分かりやすく世の中の道理を説いた物語]である。すばらしい、すばらしい」。四十六回「諸葛亮計もて周瑜を伏す」の総評ではこう述べている。「諸葛亮曹操軍から箭を借用したという計略は、策士の奇計ではあるが、結局のところ、巧妙な秘策ではない。通俗演義の中ではこのように誇張せざるを得ないだけである。将たるものは、この策を衣鉢として継いではならない」。これらの評は、小説としての通俗演義は、虚構、詳述、誇張などの特徴を備えているべきだと言うもので、文学上の重要な問題に触れることになった。一般に当時の文人は常に歴史的真実と芸術的真実を混同して、儒教経典にもとづき、小説中のストーリーをいずれも誤りであるとし、正統史学という観点から通俗文学の創作を嘲笑い軽蔑し否定した。李贄の見解のすぐれた点は、小説と正統史学という二者の異なる要求を明確に区別し、文学作品の芸術的独自性を擁護し、それによって通俗小説の芸術的技巧を高く評価することを可能にしたことである。また、こうした観点が樹立されてこそ、小説は順調に発展できたのである。後に、無礙居士は、「警世通言叙」でこう述べている。「通俗小説では、登場人物のストーリーが全部本物という必要はなく、話し自体が本人と関係ないこともある。その真実な部分は、国家公認の書物の足りない点を補うことができ、その虚構の部分も人々をふるいたたせ正しい道に導き、思いのたけをはらさせる意図を必ずもっている。ストーリーが真実であれば道理は本物であり、たとえストーリーが虚構であっても道理が本物であれば、聖人の教化を邪魔することなく、聖人賢人の教えにも誤たず、『詩経』『書経』、経書、歴史書に背くこともない」。これは、小説の本質が、「理」[道理]との一致に在ることを言うのである。小説が客観的現実の本質を反映し生活の内在規律を体現してさえいれば、真実の内容を具えていることになるのである。読者は「理の真なる」[本当の道理を有する]作品を読み、「人間の本性にふれることで、それに共感し、人の感情に接することで、自らの感情が生じ」、多方面の感銘をうけることが可能になるのである。このような認識は、李贄の見解を大きく発展させたものである。(pp.420-421)

 

 通俗文学は一般に取るに足らぬものと見做されていた当時にあって、李卓吾はそこに芸術的独自性のみならず、作品で描かれる道理の真実性を見出したのです。

 

 李贄は文章の表現能力を特に重視しており、小説中の精彩ある描写に対しては、つねに圏点を細かに付し、丁寧な指摘を加えた。たとえば、袁無涯本『忠義水滸全伝』第三回中の「魯提轄拳もて鎮関西を打つ」の描写に対しては、隅から隅まで尽く圏点を加え、賞賛している。魯智深が三度拳をふるった折、第一打は鼻に、第二打は目に、第三打はこめかみにあたったが、書中三ヶ所全てに長文の眉批[書物の上端に書かれた評語]を施し、分析評価している。李贄の評にいう、「鼻、目、耳の三ヶ所について、味覚、色彩、音声を用いてその様子を形容しており、全くすばらしい」。分析は簡潔であるが、教育における読解指導にとって啓発的意義がある。最後にこの一段の文章に総評を加えこう述べている。「荘子は風を描写し(「『荘子』逍遙游)、枚乗は波を描写し(「七発」)、水滸伝においては魯智深の拳を描写し、いずれも文学における絶妙のえがき手である」。この一文は、李贄が文学作品におけるイメージの問題に特に注意を払っていることを示している。同書第十五回は「呉学究三阮に説いて籌(かず)に撞(い)らしめ」の描写部分に対し、李贄は、「この三人の姿形声音までありありと、いきりたつさまも生き生きと、積もり積もった憤りも涙せんばかりに描写されている」と重ねて指摘し、作品中の特徴ある性格の人物や言葉に対して読者の注意を喚起している。(p.421)

 

 「魯提轄拳もて鎮関西を打つ」の描写については以前の記事「初学者向け『水滸伝』関連図書1:井波律子『中国の五大小説』(2)」でも紹介しているのでご参照ください。私個人としてはかなり好きな場面です。

 李卓吾の批評には、人物の性格や性質について触れたものが多くあります。

 

  『水滸伝』中の人物性格についての李贄の分析はこれまでになかったような新しいものである。容与堂本『忠義水滸伝』第五十二回の批語は以下のごとくである。「わが同姓の李逵は、ひたすら一本気な男で、物事をよく考えることなどさらさらなく、また裏のある言葉をはくこともない。殷天錫のような横暴なやつは、一発でなぐりころしてしまうだけだ。どうして天子のおすみつきなど必要としよう。柴進どのは結局のところお上品で、役にたたない」。同書第三回において、彼は同一類型の人物性格に対して区分をしている。通り一遍のものではあるが、後世のものに対し個性分析に目をむけるよう促しており、指導的な意味がある。批語には次のように言う。


 『水滸伝』の文章は千古に卓越している。一見同じに見えるが実は異なったところのある描写対象に対してそれぞれ書きわけがなされている。たとえば、魯智深、李遠、武松、阮小七、石秀、呼延灼、劉唐などは、いずれも短気な人物であるが、水滸伝の中で描写表現されると、それぞれ、気風があったり、みてくれが良かったり、流儀をもっていたり、身分の差があったりと、一つとしてまずいものはなく、すこしも混乱していない。読者は自ら見分けがつき、必ずしも名前を必要としない。事実を見ればすぐにその人が分かるのである。(第三回批語)


 これら人物の性格の差は、それぞれの人物が有する特定の社会的地位、特定の成長過程、特定の個性特徴、特定の風采風格によって決定される。したがってこの文章は、人物の性格を正確に描写するポイントの所在を要領よく指摘していると言えるのである。こうした作中人物の性格についての分析理論は、読者が作品を理解するのを助け、後世の作家が明確な人物造型を行うのに重要な働きをした。
 公安の三袁は李贄の伝統を受け継ぎ、小説を大いに重視した。袁宏道「朱生の水滸伝を説くを聴く」にはこういう。「少年のころ風刺的ユーモアが得意で、『史記』滑稽列伝に惑溺した。長じて『水滸伝』を読むようになり、自分の文章はいっそう珍奇で変化に富むものになった。儒教の古典である六経も究極の名文ではなく、司馬遷の文章も華やかさを欠く」。とすれば、彼は、『水滸伝』の創作水準がすでに六経や『史記』のそれを超えていると認めているのである。(pp.421-423)

 

 公安派の三袁(袁宗道・宏道・中道)は李卓吾の代表的な後継者で、彼らが提唱した「性霊説」も李卓吾の影響を大きく受けたものです。小説批評で言えば、李卓吾の人物描写への眼差しは、金聖嘆をはじめとする後世の文人に多大な影響を与えました。

 

 ここまでは李卓吾を中心とした内容でした。大まかではありますが、李卓吾白話小説批評の特徴を知ることができました。本章は次に、李卓吾の小説批評の後継者であり、明末清初の白話小説批評の大家である金聖嘆へと話が移ります。では、次回に続きます。

 

ぴこ