聚義録

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小松謙『詳注全訳水滸伝』

 今年8月、汲古書院から、小松謙氏の『詳注全訳水滸伝』第1巻が刊行されました。購入予約していたために刊行された翌日には手元に届き、開いた瞬間、「あぁ、これはとんでもない大著が出たぞ」と確信しました。そこで今回は本書の特徴を紹介した上で、僭越ながら様々な読者層に向けて本書の読み方を提案したいと思います。ちなみに詳注全訳本(私が勝手にこう呼んでいます)は全13冊だそうで、年2〜3冊刊行予定のようです。

 

本書の特徴

①原文に即した翻訳

 小松氏は本書「解説」で次のように述べています。

(従来の翻訳は、吉川・清水訳を例外として)いずれも語りのスタイルを取らず、かつ息の長い語りを適宜切って、ある程度の意訳をも行っている。吉川・清水訳には原文の雰囲気を伝えようという意図は認められるが、日本の講釈に似せようという意図が強すぎたため、結果的に原文を乖離した点も認められる。

 今回の翻訳では、原文の雰囲気を可能な限り日本語に移すことを目指した。原文は講釈師の語りのスタイルを取り、非常に息の長い語りが、多くの人称代名詞や指示詞を伴って続けられる。これをそのまま日本語に移すとかなり不自然なものとならざるをえないが、しかし訳しやすいように切り、人称代名詞や指示詞を削除してしまうと、原文の雰囲気は失われる。訳文を作るにあたっては、饒舌な語りのスタイルを取り、息の長い語りもできるだけ途中で切ることなく、人称代名詞や指示詞も、日本語としてあまりにも不自然にならない限り、できるだけ残した上で、自然な日本語になるように努めたつもりであるが、成功しているかどうかには確信が持てない。このような翻訳の方法を取ったのは、筆者自身のかねてよりの信念に由来するものではあるが、芳川泰久氏が新潮文庫から二〇一五年に刊行された『ボヴァリー夫人』の新訳を読んで、原文に忠実に訳した翻訳がもたらす効果のすばらしさを知ったことからも大きな影響を受けている。(「解説」pp.ⅴ-ⅵ)

 講釈師の語りの体裁を取る『水滸伝』の生き生きした白話話し言葉をできるだけ忠実に訳そうという姿勢が見て取れます。

 そしてその翻訳を支えているのが本書に大量に附せられた注に見える、非常に綿密な考察です。

 

②極めて緻密な注

 書名に「詳注」とあるように、本書の一番のウリは、大量に附せられた注にこそあるといえるでしょう。本書は導入部分である「引首」から第6回までを収録していますが、全体で合計2,011個もの注が附せられています。私自身はといえば、ゆっくりじっくり読み進めているため、まだ第2回の途中までしか到達していません。第2巻が出る前には読み終えたいものです。

 

 注の内容は大きく分けて3種に分けられます。

 

(1)原文中の語句についての解説

 これが「注」としては最も基本的で、一般的にイメージされやすいものでしょう。その語句の意味について、歴代の用例などを示しながら解説するものです。しかしながら、白話語彙は表記や文法が不安定だったり、意味が取りづらいものも少なくありません。本書の注の特徴として、詩詞や散文、歴史書だけでなく、戯曲や平話の用例が多く提示されていることが挙げられます。小松氏はそもそもは戯曲を研究されており、戯曲を含めた「白話文学」という大きなくくりでもって研究を進めたと述べています(「あとがき」p.310)

 

(2)版本ごとの字句異同の提示及び、異同の要因・意味についての考察

 本書は文繁本(テキストが詳細なもの。一方でテキストが簡略化されたものは「文簡本」と呼ばれる)のうち現存最古の完本である容与堂本を底本に用いています(3種ある容与堂本のうち、本書が底本としたのは中国国家図書館所蔵の「北京本」)。多種の版本を有する『水滸伝』では、度々本文の改変が施されており、そこには編纂者の意図や、語彙使用の変遷の様相などが表れています。本書では多くの版本を用いて校勘しており、語句の異同がある場合は逐一注釈で指摘し、その改変の意味するところを考察しています。校勘に用いられたものは以下の通りです(「解説」pp.ⅶ-ⅷ)

 

・完全な校勘の対象となっているもの

1.中国国家図書館所蔵「容与堂本」(=北京本)

2.石渠閣補刻本

3.無窮会蔵本

4.遺香堂本

5.全伝本(=百二十回本)

6.金聖嘆本

 

・随時言及するもの

1.国立公文書館内閣文庫所蔵「容与堂本」(=内閣本)

2.天理大学附属天理図書館所蔵「容与堂本」(=天理本)

3.鍾伯敬批評四知館本

4.全書本(=百二十回本、全伝本系統より刊行が遅い)

5.『水滸志伝評林』〔文簡本〕

6.劉興我本〔文簡本〕

7.『二刻英雄譜』〔文簡本〕

 

 これらの版本の選択は『水滸伝』テキストの発展を考える上で十分な妥当性を有しているわけですが、そのことについて詳しく知りたい方は、小松氏の著書『「四大奇書」の研究』(汲古書院、2010)や『水滸傳と金瓶梅の研究』(汲古書院、2020)などをご覧ください。言葉を選ばず言えば、文字異同の指摘は原文さえ手元にあれば誰でもできます。その異同の意味するところを綿密に考察している点こそが、本書の注の長所のひとつです。

 

(3)評語の日本語訳

 さて、普段『水滸伝』批評を研究している私としては、これが最も衝撃的でした。『水滸伝』をはじめとする白話小説には、批評者による評語(総評、夾批、眉批など)が書き込まれています。そこには批評者の作品の見方が大いに反映されています。本書では、「『水滸伝』に附された批評が中国・日本双方の文学に及ぼした影響の強さに鑑みて」(p.ⅸ)、容与堂本と金聖嘆本の評語を全訳しています。ただし、金聖嘆本の各回冒頭に附せられた総評は収録されていません。

 評語は難解なものも多く、仮にある程度日本語に移せたとしてもそれの意味するところの解釈は一筋縄ではありません(私も日々苦悶しながら格闘しています)。その点でも、小松氏の功績は(少なくとも私にとっては)尋常ならざるものです。

 

 以上が、本書の大きな特徴と言えるものです。

 

 さて、本書を読もうという場合、どうやって読むのが良いのでしょうか。読む目的に合わせていくつかのパターンを提案しようと思います。

 

【パターンA】純粋に作品として味わいたい:『水滸伝』を初めて読む方など

 こういった方は、注はひとまず無視していただいて、どうぞ訳文をそのままお楽しみください。もとを辿れば講釈に起源を持つ作品です。例えば講釈師が語っていることをイメージしながら読むのもアリですね。

 ただ本書は完結していないのと、価格的に簡単には手が出せないというのがネックです。図書館などで借りられるという方であればまた別ですが、『水滸伝』を初めて読むという方は、まずは他の訳本を読んでいただいてから、改めて機会を見つけて小松訳を味わう、というのがいいかもしれません。そうすれば自然と次の【パターンB】の読み方ができます。

 原文に対する忠実度の見方から言えば小松訳は確かに優れているとは思いますが、どの訳本が自分にとって読みやすいか、合っているかは人それぞれだと思います。是非ともまずは他の訳本で作品を通読し、『水滸伝』の物語を楽しんでください。

 

【パターンB】小松訳の雰囲気を知りたい:他の訳本を読んだ経験がある方など

 既に『水滸伝』を読んだことがあり、小松訳で再読してみたいという方は、他の訳本と比較しながら、その雰囲気の違いを読み比べてみるのもいいと思います。『水滸伝』全訳本といえば、百回本を底本とする吉川・清水訳や井波訳、百二十回本を底本とする駒田訳などがありますが、読み比べることで、それぞれの雰囲気を実感できると思います。全てを読み比べるのは大変ですので、例えば王進と史進が出会う一節、魯智深が鎮関西を殴り殺す一節、など、部分的に抜き出して読むだけでも十分だと思います。

 ただ、佐藤訳や村上訳などは金聖嘆本を底本としているため、冒頭の導入の構成が大きく組み替えられているので注意が必要です。

 

【パターンC】原文と訳文を並べて読んでみたい:白話文を読んでみたい方、中国語学習歴がある方など

 ここからはややハードルが上がってしまいますが、『水滸伝』を原文で読んでみたいという方にとって、原文を忠実に翻訳することを目指した本書は有用です。『論語』や『史記』のような文言文を読んだ経験がある方にとっては、初めはかなり読みづらいかもしれません。どちらかと言えば、文言文を読んだ経験よりも現代中国語の学習経験の方が生きるかと思います。こういった読み方であれば、注の(2)・(3)は基本的に無視していただいて構わないでしょう。

 もし愛知大学の『中日大辞典』や大東文化大学の『中国語大辞典』などがあれば、より読みやすいでしょう。『中日大辞典』はオンラインでも検索できますのでそれも活用してみてください。ただしこれらの辞書でカバーできる範囲は限られていますので、そこは大いに訳文や注を参照してください。

 ただ問題は原文は何を使えばいいのかという点ですね。もし書籍を購入するというのであれば、影印本(原典の写真を印刷したもの)の用意は難しいと思いますので、用意するなら排印本(活字により印刷したもの、文字の誤脱の可能性に注意)がいいでしょう。容与堂本を底本にしたものですと、例えば上海古籍出版社のものなどがありますが、それでも高価です。

 というときに便利なのがやはりインターネットです。中國哲学書電子化計劃には容与堂本(北京本)の影印が掲載されています。影印では読みづらいということであれば、原文の正確さには注意しなければなりませんが、維基文庫で原文を参照するという手もあります。維基文庫には百回本・百二十回本・七十回本の3種の文繁本テキストが掲載されていますが、百回本はまだ第18回までしか載っていません。

 いずれにせよ、何とか百回本(百回本のテキストということであれば、よっぽど容与堂本に基づいているかと思います)のテキストを入手していただき、辞書を使いつつ、本書の訳文を参照しながら読んでいく、という読み方も十分可能だと思います。

 

 さて、これ以降のパターンは研究色がやや強くなります。

 

【パターンD】版本間の異同を見ながら読んでいきたい:白話小説テキストの成立や変遷、版本研究に興味のある方

 更にややハードルがあがりますが、中には白話小説テキストの変遷や版本研究に興味がある方もおられるかもしれません。そういう方は、ぜひ複数版本のテキストを手元に置きながら、注(2)を参照しつつ読んでいくことをおすすめします。

 その場合、手元には最低でも容与堂本・金聖嘆本の2種、可能であれば更に百二十回本のテキストをご用意ください。排印本で結構です。

 排印本であれば大抵、百回本は容与堂本、七十回本は金聖嘆本を底本としています。百二十回本の場合、時折、第71回までは金聖嘆本を、第72回以降は百二十回本を底本としているものもありますので(どうしてこういうことをするのか甚だ疑問ですが…)ご注意ください。百二十回本の版本は細かく分ければ「全伝本」系統と「全書本」系統がありますが、これはひとまず気にしなくていいです。

 

【パターンE】評語を味わいながら読んでいきたい:白話小説の小説理論や批評理論に興味のある方

 『水滸伝』に込められた小説理論あるいは、批評者、つまり李卓吾(偽託とされる)・金聖嘆の批評理論に興味のある方は、是非とも作品中に大量に見える評語を読んでください。お手元に百回本と金聖嘆本のテキストをご用意の上、評語が出現するたびに、その評語が意味するものは何か考えながら読んでいきましょう。注(3)を大いに活用してください。小松氏は評語の和訳だけでなく、一部の評語についてはその意味するところを考察しています。それを参考にしつつ読んでいけば、作者がテキストに込めた(と批評者が見做している)ニュアンスをより一層汲み取れるかもしれません。

 

【パターンF】本書の内容をあますところなく知り尽くしたい

 もっともっと余力のある方は、複数のテキストを手元に置いて、注(1)・(2)・(3)全てに目を通し、訳文を味わってください。正直全部をこなすのはキツいでしょうが、自分のペースでゆっくり頑張ってください。

 

 以上、本書の価値と魅力は伝わりましたでしょうか。やや研究者向けの本ではありますが、少しでも多くの方にご興味を持っていただけたなら幸いです。最近は注が充実している訳本が少しずつ出てきています(他には例えば、鳥影社から刊行された田中智行訳『金瓶梅』などがあります)。これはいわゆる一般読者だけでなく研究を志す者にとっても非常に有益なものです。こういった訳本の刊行に改めて感謝しつつ、私もどんどん読み進めていきたいと思います。

 

ぴこ