聚義録

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初学者向け『水滸伝』関連図書1:井波律子『中国の五大小説』(1)

 本ブログの最初の記事は、初学者向け『水滸伝』関連図書を紹介しようと思います。「そもそも『水滸伝』って何なの?」「少しは知ってるけど詳しくは…」といった方でも比較的取っ付きやすく、粗筋を知るのに有用な本があります。

 非常に著名な中国古典文学研究者の井波律子氏は『水滸伝』に関する本をいくつも執筆されています。近年では『水滸伝』『三国志演義』の訳本を次々と出版したことでも知られていますが、昨年亡くなり、研究者や読者など多くの方がその死を悼みました。私自身も井波氏の著書に大きな感銘を受けた一人であり、大変ショックを受けました。

 井波氏の著書の中から、今回は『中国の五大小説』(岩波書店岩波新書)、2009)を用いて、『水滸伝』について簡単に紹介したいと思います。本書は上下2冊に分かれており、上巻は『三国志演義』『西遊記』を、下巻は『水滸伝』『金瓶梅』『紅楼夢』を扱っています。

 そもそも『水滸伝』とはどのような作品で、どのように出来上がったものなのか、本書の「はじめに」に分かりやすくまとめられています。

 まず『水滸伝』が成立した経緯については次のように述べられています。

 『水滸伝』は『演義』(引用者注:三国志演義)や『西遊記』と同様、宋代から元代にかけ、講釈師が聴衆を前にして語った連続長篇講釈を母胎とする作品である。『水滸伝』が白話長篇小説として成立したのは『演義』と同時期、十四世紀中頃の元末明初だが、その語り口は『演義』や『西遊記』に比べると、はるかに盛り場演芸である「語り物」の臨場感をとどめている。(「はじめに」、p.ⅰ)

 宋代は大衆娯楽が発展した時代で、都市には盛り場(瓦子:がし)が開かれていました。そこでは講釈師が様々な物語を民衆に語って聴かせていました。もしピンと来なければ、講談や紙芝居屋をイメージしていただければ良いかと思います。講釈師の語る内容にはいくつもジャンルがあり、それぞれに専門の講釈師がいました。彼らの語る内容は後にテキスト(話本)として刊行されました。話本は数種現存しており、その中に北宋徽宗皇帝の時代を描く『大宋宣和遺事(だいそうせんないじ)』があります。これこそが『水滸伝』の源流とされる作品です。

 

 続いて、物語の内容と刊行された版本(テキスト)について述べられています。

水滸伝』は長らく写本の形で流通し、現存する最古のテキストが刊行されたのは、完成後二百年あまりも経過した、明末の万暦年間(一五七三―一六二〇)だった。これは全百回から成り、三十六の「天罡星」と七十二の「地煞星」から生まれかわった豪傑が、続々と「梁山泊」に集って大軍団を形成し、官軍を向こうにまわして激戦をくりかえしたあげく、北宋朝廷に招安(帰順すること)され、遼征伐、方臘征伐をへて、ついに壊滅する波乱万丈の過程を描きあげている。ちなみに、『水滸伝』には種々の刊本があり、百回本のほか百二十回本、七十回本などがある。 (「はじめに」、p.ⅰ) 

 『水滸伝』の粗筋が簡潔にまとめられています。『水滸伝』では108人の豪傑が様々な運命に導かれて落草(盗賊になること)・集結し、官軍と戦います。その後、招安を受けたものの、最後には好漢の多くが非業の死を遂げ、散り散りとなってしまうという悲しい結末で締めくくられます。

 

 また、井波氏がここで述べる万暦年間のテキストというのは、容与堂が刊行した「容与堂(ようよどう)本」です。記載年から1610年に刊行されたと考えられていますが、この点については疑問も残っています。容与堂本より古いもので嘉靖年間の「嘉靖本」というものがありますが、ごく一部しか残っておらず、いずれにせよ現時点での最古の完本は容与堂本とされています。

 細かい点はひとまず抜きにして、『水滸伝』の主要版本は成立年代順に「百回本」「百二十回本」「七十回本」に大別されます。内容の違いは以下の通りです。

 

百回本  :好漢集結→招安→遼征伐          →方臘征伐→好漢退場

百二十回本:好漢集結→招安→遼征伐→田虎征伐→王慶征伐→方臘征伐→好漢退場

七十回本 :好漢集結

 

 このように各版本で内容は大きく異なっています。特に明末清初の文人・金聖嘆が編纂した七十回本は、好漢たちが集結したところで突如打ち切られ、最後は夢落ちという形式が取られます。招安以降の展開が描かれないのは、盗賊である梁山泊の存在を是としない金聖嘆自身の強い思想によるものです。後世の中国で最も流通したのが七十回本だと言われています。

 

 そもそも「回」とは何なのでしょうか。講釈に端を発する白話小説の多くが数多くの「回」に分けられています。テレビアニメやテレビドラマをイメージしてみてください。それらは第1話、第2話、第3話・・・とストーリーが進展していきます。それと同じように、講釈師は何十回にも分けてひとつの物語を語っていたのです。現代と同様、盛り上がる場面になるとここぞとばかりに「さて続きは次回」と締めくくります。これは次回以降も聴衆を呼び込むための手法なのでしょう。読み物になってもそれは同じで、多くの回に分けられ、各回の末尾には「且聴下回分解(さてどうなるかは次回のお楽しみ)」という決まり文句が置かれています。このような形式を持つ白話小説を「章回小説」と呼びます。時代が下り『水滸伝』に新たな版本が出るにつれて、読み物である小説から語り物の要素を除こうという試みの形跡も見受けられます。この点についてはいずれ論文紹介などで扱う予定です。

 

 ちなみに版本と言えば、2018年の東京古典会古典籍展観大入札会に所謂「天都外臣本(石渠閣補刊本)」という容与堂本と嘉靖本の中間に位置するとされるテキストが出品され、平田昌司氏が入手しました。現存すら疑問視されていたこの版本の登場は、日本の『水滸伝』研究に大変大きな衝撃を与え、それ以降一気に研究が進んでいます。この版本についても、また改めて紹介します。

 日本の『水滸伝』版本研究は非常に盛んです。版本研究は文学研究の基礎といっても過言ではありません(そもそも研究に使用する版本自体に問題があれば、そのテキストに基づいて論じても十分には価値が担保されません)。一見地味と思われがちですが、文学研究に寄与するところの非常に大きい研究分野だと思います。

 

 さて今回はここまで。次回に続きます。

 

ぴこ