聚義録

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初学者向け『水滸伝』関連図書2:佐竹靖彦『梁山泊 水滸伝・108人の豪傑たち』(5)

 前回の続きです。今回も佐竹靖彦『梁山泊 水滸伝・108人の豪傑たち』(中公新書、1992)の第五章第五節「大豪傑への道」(pp.91-95)を読んでいきましょう。

 

 宋江は、閻婆惜を殺して江州の牢獄に送られるが、ここで自分の反逆の志をのべた漢詩を作ってその素性を見抜かれ、危うく獄門になるところであった。かれが江州の料理屋でひとり酒を飲んで作ったというその漢詩の第一首は、自分は幼いときから学問をおさめ、権謀術数に富んだ豪傑であるが、猛虎が荒れた丘に身を潜めるように爪牙を隠してきた。それなのにどうしてこんな罪人扱いに堪えられようか。いつかわたしが、この冤仇に報いるときには潯陽江(江州の辺りの長江の呼び名)の流れも血に染まるであろうというものである。この詩を壁に書きつけた宋江は大喜び大笑いで、また数杯の酒を飲み、おぼえずも物狂おしくなり、手は舞い足は蹈(おど)り、さらにもう一首をしたためる。

 

 心は山東に在るも身は呉に在り。江海に飄蓬して謾(そぞ)ろに蹉吁(なげ)く。他(いつ)の時には若し雲を凌ぐ志を遂げなば、敢えて笑わん黄巣は丈夫ならずと。

 

宋江は、いわれなき罪のため、江州にながされたが、心は山東梁山泊にある。いつまでこのような流離(さすらい)の身に甘んじられよう。いつか天下に雄飛して、唐朝を倒した黄巣も小せえ小せえといってやるというのだから、たいへんな意気込みである。しかし、実際の宋江は痴話喧嘩に端を発する刑事犯として逮捕され労役に服しているにすぎないので、そもそも復讐の相手などいないはずなのである。ましてやこの段階で黄巣のような、たとえその評価は別としても中国の歴史上指折りの大反乱の組織者となった人物とわが身を比較するなどとは理解しにくいことである。

 宋江はまた執念深くしばしば逆恨みをする。これは原宋江からもちこされた性格かも知れないし、あるいは恨みが小さいのは大人物ではないという哲学の所産かもしれない。中国のような広域的な社会、それも一方では散砂のようにバラバラで孤立的な小宇宙の集まりの観を呈しながら、ときのこの小宇宙を超えた大きな力がはたらく社会においては、小宇宙を超えた大きなつながりを恨みのなかに生きる人物のみが英雄となりうるからである。それはそれでたしかに盗賊集団の頭目としてふさわしい人格であろう。しかし、これを「冤(うらみ)には各の頭(あいて)あり、債(かり)には各の主(かして)あり」という武松と比べると、豪傑の気風に欠けることだけは確かである。このような人物が、おおらかで競争心なくふるまえるのは、梁山泊集団においてあらかじめかれの覇権が確立していたからであり、水滸伝の作者たちが、このような与えられた条件のもとで、やや急ぎ足に宋江に人集めをやらせた結果なのである。一言で言えば、水滸伝における宋江の人格が不可解であり、分裂しているのはこのような水滸伝の成立の過程そのものを反映しているのである。(pp.91-93)

 

 宋江が潯陽楼(潯陽江のほとりにある楼閣)の壁に反詩を書き付けるというくだりは有名な場面です。酒に酔っていたとはいえ、相当思い切ったことを詠んでいますね。「そもそも復讐の相手などいないはずなのである」というのは仰るとおりで、明末清初の金聖嘆はこの反詩の「他年若し冤讐に報ゆるを得ば、血は潯陽の江口を染めん(いつかもしも仇に報いることができたなら、血が潯陽の江口を染めるだろう)」という一節に「写宋江心事、令人不可解。既不知其冤讐為誰、又不知其何故乃在潯陽江上也(宋江の内心の描写は理解できない。その仇というのは誰で、どうして潯陽江のほとりで仇を報いようとしているのか)」との評語を残しています。物語ではその後、通判の黄文炳が反詩を見つけます。黄文炳がこの一節を読んで、「おまえは誰に仇を報いようとしているのだ!」、「ここ潯陽江で仇を報いようとしているんだな!」と感想を述べると金聖嘆はすかさず「我亦疑之(私もそれが疑問だ)」とコメントしています。黄巣の名を出したのもそうですが、宋江は酔っ払ってかなり気が大きくなってしまったんでしょうね。

 

 話は変わり、白話小説には往々にして挿絵が見られます。白話小説における挿絵文化は話本の影響を受けていると言えるでしょう。以前の記事でも触れたことがありますが、宋代では盛り場で盛んに講釈が行われ、講釈内容は話本として出回りました。その中の特に歴史物の話本に「全相平話」と名の付く話本が現存のもので『新刊全相平話武王伐紂書』・『新刊全相平話楽毅図斉七国春秋後集』・『新刊全相秦併六国平話』・『新刊全相平話前漢書続集』・『至治新刊全相平話三国志』の5種あります。「全相」とはつまり「全ページ挿絵入り」の意味で、全ページの上部にその場面の挿絵があります。ちなみに『新刊全相平話武王伐紂書』は『封神演義』の、『至治新刊全相平話三国志』は『三国志演義』の前身となる作品です。『水滸伝』の挿絵について言えば、容与堂本という版本では各回冒頭のページにその回の内容を描いた挿絵が1枚配置されています。

 第3図は現在伝わる百回本のうちもっとも勝れたものと考えられている容与堂本の第四十二回の挿絵である。この挿絵は、宋江九天玄女から天書を受ける姿を描いているが、小腰をかがめチョビひげをはやした宋江の姿は胥吏的英雄としてのかれの姿を実によく描いている。これに反して、図4の、よりのちに陳洪綬が描いた宋江の姿は、方臘の大反乱の鎮圧者、遼国討伐の英雄として、曹操劉備とみまがう大豪傑になっている。われわれはここに水滸伝的世界の完成の姿を見るのであるが、このようなフィクシオンの完成は、それをつうじて魯智深や武松といったほんらいの英雄もまた逆説的にその正しい位置付けを得たことを意味しているのである。 (pp.93-95)

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 確かに比べてみれば、 容与堂本の挿絵(第3図)より陳洪綬が描いた挿絵(第4図)の宋江の方が威厳があるように感じられます(この手の考察は主観的な判断が入りがちなので難しいところなのですが)。このように作品受容の調査には挿絵からのアプローチも可能です。

 

 さて、全5回に亘って佐竹靖彦『梁山泊』第五章を読んでまいりましたが、今回で本書を取り上げるのも最後です。本書第五章では一貫して宋江のキャラクターについて論じられていますが、ここまでお付き合いいただいた皆さまはきっと戯曲・綽名といった様々な角度からのアプローチの手法を体感できたのではないかと思います。第1回の記事にも示した通り、本書は非常に多彩な視点から『水滸伝』を論じています。興味を持たれた方は、是非本書を手に取っていただけたらと思います。

 

ぴこ