聚義録

毎月第1・3水曜日更新

金聖嘆「読第五才子書法」を読む(7)

 引き続き「読法」を読み進めてまいりましょう。今回から読む「文法」についての段落は、「読法」の真骨頂と言っても過言ではありません。今回読むのは第49〜51段です。

 

【49】

吾最恨人家子弟、凡遇讀書、都不理會文字、只記得若干事蹟、便算讀過一部書了。雖『國策』『史記』、都作事蹟搬過去、何況『水滸傳』。

 

〔訳〕私が最も遺憾に思うのは、人様の子弟が書を読むにあたって、文章をきちんと理解せず、ただ些かの事実を覚えただけで、一冊の書を読み終えたとすることである。『戦国策』や『史記』でさえも、事実と見做して読み進めてしまう。『水滸伝』はなおさらである。

 

【50】

『水滸傳』有許多文法、非他書所曾有、畧點幾則於後。

 

 〔訳〕『水滸伝』には多くの文法があり、これは他の書には未だかつて無かったもので、その幾つかを後文で簡単に示す。

 

 【49】には金聖嘆が『水滸伝』を批評した理由が示されています。それは『水滸伝』の読者の読書の仕方に対する不満です。金聖嘆は、彼らが『戦国策』や『史記』そして『水滸伝』の内容を覚えただけで読み終えたと見做し、その文章にどのような「文法」が用いられているのかを理解し、学ぼうとしないことを残念がっているのです。次の【51】以下には、『水滸伝』で用いられる15種の「文法」がひとつひとつ説明されています。


【51】

有倒插法。謂將後邉要緊字、驀地先插放前邉、如五臺山下鐵匠間壁父子客店、又大相國寺嶽廟間壁菜園、又武大娘子要同王乾娘去看虎、又李逵去買棗糕、收得湯隆等是也。

 

〔訳〕 倒挿法というものがある。これは後ろで出てくる重要な字句を、突然前に差し込むことを言う。例えば、五台山のふもとの鍛冶屋の隣の「父子客店」や、大相国寺の岳廟の隣の菜園、武大の妻潘金蓮が王婆と虎(を退治した武松)を見に行こうとしたこと、更には李逵が棗のまんじゅうを買いに行って、湯隆を仲間入りさせることなどがそれである。

 

 「倒挿法」とは後々の展開に関わる人物や事物を事前に提示して、伏線として機能させる手法です。ここで①父子客店、②菜園、③王婆、④湯隆という4つの例が挙げられています。今回は④を例に挙げて説明します。

 

④湯隆について

 第53回、公孫勝李逵は高廉と戦うために高唐州に向かっていました。腹ごしらえのため、李逵が棗のまんじゅうを買いに出かけました。その時、自慢の怪力で鉄瓜鎚を振り回している湯隆と出会いました。意気投合した二人は義兄弟となります。その場面に金聖嘆は次のような評語を附しています。

 

公孫到、方纔破高廉、高廉死、方纔驚太尉、太尉怒、方纔遣呼延、呼延至、方纔賺徐寧、徐寧來、方纔用湯隆。一路文情、本乃如此生去。今却忽然先將湯隆倒插前面、不惟教鈎鎌之文未起、并用鈎鎌之故亦未起、乃至并公孫先生、亦尚坐在酒店中間、而鐵匠却已預先整備。其穿插之妙、眞不望世人知之矣。

 

〔訳〕公孫勝が到着してはじめて高廉を撃破し、高廉が死んではじめて高大尉(=高俅)を驚かせ、高大尉が怒ってはじめて呼延灼を派遣し、呼延灼が到着してはじめて徐寧を騙すことになり、徐寧が登場してはじめて湯隆が用いられる。ひと繋がりの文章の展開は、本来このように生じていくものである。しかし今ここでまず先に湯隆を差し込んでおり、この段階ではまだ呼延灼の連環馬を破るための)「鈎鎌鎗法」を教授する段が始まっていないだけでなく、「鈎鎌鎗法」を用いる理由(=呼延灼の派遣)すらまだ描かれていない。ひいては公孫勝はまだ居酒屋の中に座っているのに、鉄鍛冶(=湯隆)はもう予め配置されている。このような話の差し挟み方の素晴らしさが、世人の知るところとなるとはまことに思えない。

 

この評語を読めば「倒挿法」とはどのようなものなのか、何となくでも分かっていただけるのではないでしょうか。ある人物や事物が初めて登場する場面において、それらは決して重要な役割を担っているわけではないけれど、その後になって意味を持つように構成されているのです。

 

 ①の「父子客店」は、魯智深が禅杖の製作を依頼しに鍛冶屋に向かう際に、鍛冶屋の隣の宿屋の名前「父子客店」を予め示すことで、後に魯智深が五台山から大相国寺に移る道中、「父子客店」で宿を取りつつ注文していた禅杖の完成を待つことの必然性を担保するという効果を持ちます。

 

 

 ②の「菜園」は、大相国寺東岳廟の隣にある菜園のことで、魯智深はその菜園の管理を任されます。はじめに「大相国寺東岳廟の隣の菜園」という情報を示しておくことで、東岳廟にご祈祷に訪れた林冲魯智深の邂逅の伏線となるのです。

 

 ③の「王婆」は、潘金蓮西門慶の姦通の手助けをした人物です。潘金蓮が武松とはじめて出会った場面で「お隣さんの王婆」を登場させることで、後々重要な役割を担うことになる伏線となります。

 

 以上のように、「倒挿法」とは物語展開上で重要な役割を担うキーワードを先に示すことで、その人物や事物の重要性、あるいは後々の展開を暗示する効果を意図した手法と言えるでしょう。

 

 さて、今回はここまでといたします。今回までに全7回に亘って「読法」を読んでまいりましたが、「読法」を読むシリーズはここで一旦中断しようと思っています。少し時期はあいてしまいますが、必ず再開するつもりです。それまで少々お待ち下さい。ブログの更新は続けていきますのでよろしくお願いします。それではまた次回。

 

ぴこ

金聖嘆「読第五才子書法」を読む(6)

 突然ですが、私が「読法」の翻訳にチャレンジしてみようと思ったきっかけをお話しします(※以下、自分語りとなります、ご容赦ください)。

 私が本格的に「読法」を読んでいこうと思ったのは、博士課程進学のための院試を直前に控えた2018年の冬に、以前本ブログでも紹介した平岡龍城『標註訓譯水滸傳』に出会い、平岡龍城が『水滸伝』の訓読を試みているのをとても興味深く思ったのがそもそものきっかけです。

 また、今まで触れていませんでしたが(意図的に隠していたわけではありません)、本国には竹田壮一朗「『金聖嘆批評本水滸伝』「読第五才子書法」訳注--『水滸伝』の読み方」(『福岡教育大学国語科研究論集』No.43、pp.50-59、2002年1月)という「読法」の訳注があります。とある方のご厚意により(この場を借りて改めて感謝申し上げます)、当該論文を入手した私は、竹田氏に敬意を感じずにはいられませんでした。しかし同時に、一部「しっくりこない感じ」がありました(大変失礼な物言いをお許しください)。その「しっくりこない感じ」を言語化するために始めたのがこの翻訳なのです。

 訳注末尾に附せられている謝辞によれば、竹田氏も執筆当時は大学院生だったようです。同じく大学院生の私が一人で藻掻きながら作成しているものが本ブログの「読法」翻訳です(竹田氏もおそらく試行錯誤したに違いありません)。本ブログでは、現時点で私の中で一番「しっくりくる」解釈を示しています。それは私の解釈が「正しい」ということを意味するわけではありません(世の中に存在する翻訳全てに言えることだと思いますが)。また、どうしてもうまく解釈できず、仕方なく保留にしている箇所もあります。この点については私の力不足以外の何ものでもございません。しかしながら、翻訳の過程で「どうも分からない」という感覚を得られたこと自体が私にとっては収獲です。

 私の翻訳作業の過程では、当然竹田氏の訳注も参考にさせていただいています。私の翻訳は正式な学術論文などではなく、ブログの記事ということもあり、今まで特に注記してきませんでしたが、未熟ながらも学術界に属する大学院生の一人として、竹田氏の訳注の存在については予めきちんと示しておくべきでした。このことについてこの場を借りてお詫びすると共に、私の「読法」翻訳のきっかけを与えてくださった竹田氏に改めて敬意を表します。

 

 では、今回も「読法」を読み進めてまいりましょう。 今回は第36〜48段、前回に引き続き好漢に対する評価を述べている部分です。

 

【36】

花榮自然是上上人物、寫得恁地文秀。

 

 〔訳〕花栄は当然上上の人物で、このように気品があるように描かれている。

 

 金聖嘆は花栄の気品を高く評価しています。第33回で連発される「花栄文甚」という評語に見える「文」も「文雅だ、教養がある」といった意味でしょう。

 

 

【37】

阮小七是上上人物、寫得另是一樣氣色。一百八人中、眞要算做第一箇快人、心快口快、使人對之、齷齪都銷盡。

 

 〔訳〕阮小七は上上の人物で、他の人物とは違った描かれ方をしている。百八人中で、まことに最もさっぱりとした人物と言え、彼は心も口もさっぱりとしており、もし人が彼と相対したならば、心の卑しさは全て消えてなくなるだろう。

 

 金聖嘆の阮小七に対する評価は「快(さっぱりしている)」の一字に集約されています。第14回、呉用が阮三兄弟を仲間に引き入れようと訪ねる場面では次のような会話があります。

阮小二便道、「先生、休怪我三箇弟兄粗俗、請教授上坐。」呉用道、「却使不得。」阮小七道、「哥哥只顧坐主位。請教授坐客席。我兄弟両箇便先坐了。」呉用道、「七郎只是性快。」

〔訳〕そこで阮小二は言った、「先生、我ら三兄弟はガサツな者ばかりですので、どうか上座にお座りください。」呉用は言った、「それはいけません。」阮小七は言った、「兄貴は主人の席につきなさいな。先生は客人の席についてください。我ら兄弟二人は先に座らせてもらいますよ。」呉用は言った、「七郎はさっぱりした性格をしているな。」

呉用は阮小七の性格を「快」と評しています。また、ここに金聖嘆は「快人快語(さっぱりした者のさっぱりした言葉だ)」、「七郎真是快士(阮小七はまことにさっぱりした男だ)」という夾批を附しています。 誰が上座に座るかなどといったような細かいことにこだわらない爽快さこそが、阮小七の持ち味というわけです。

 

 

【38】

楊志、關勝是上上人物。楊志寫來是舊家子弟、關勝寫來全是雲長變相。

 

 〔訳〕楊志と関勝は上上の人物である。楊志は旧家の子弟のように描かれ、関勝は全くもって関羽の化身のように描かれている。

 

 『水滸伝』の楊志は『楊家将演義』で知られる楊業の末裔とされ、「旧家の子弟」という描かれ方がされるのもそのためです。また、関勝は言わずと知れた関羽の子孫とされ、その容姿や武器(青龍偃月刀)や乗っている馬(赤兎馬)も関羽を意識して描かれています。両者ともに「上上」の最高評価を与えられています。

 

 

【39】

秦明、索超是上中人物。

 

 〔訳〕秦明と索超は上中の人物である。

 

【40】

史進只算上中人物、爲他後半寫得不好。

 

 〔訳〕史進は上中の人物と言えるが、後半ではあまり良く描かれていない。

 

 秦明・索超・史進はともに「上中」の評価です。史進に対する「後半ではあまり良く描かれていない」という評価は一体何を指しているのでしょうか。「寫得不好」と言っているということは、単に登場頻度が減ったということではなさそうです。後半部で史進が大きく描かれる場面と言えば、金聖嘆本第57回末から第58回冒頭にかけて、史進魯智深が立て続けに賀太守の暗殺に失敗して捕らえられる場面(ここは金聖嘆が大きく手を加えています)か、あるいは第68回の、東平府に侵入した史進が馴染みの娼妓に通報され捕らえられる場面くらいでしょうか。そう考えれば、この二つの場面はいずれも史進の失敗を描いていることになります。物語を推し進めるのに必要な展開とは言え、立て続けに描かれる史進の失敗を「寫得不好」と評したという理解が妥当ではないでしょうか。

 

 

【41】

呼延灼却是出力寫得來的、然只是上中人物。

 

 〔訳〕呼延灼は力を込めて描かれているが、上中の人物である。

 

【42】

盧俊義、柴進只是上中人物。盧俊義傳、也算極力將英雄員外寫出來了、然終不免帶些呆氣、譬如畫駱駝、雖是龐然大物、却到底看來、覺道不俊。柴進無他長、只有好客一節。

 

 〔訳〕盧俊義と柴進は上中の人物である。盧俊義の列伝では、力の限り英雄盧俊義を描き出したと言えるが、結局は些かぼんやりしてしまうのは免れない。それはまるで駱駝を描くかのように、見かけは大人物のようであるが、全体をよく見てみれば、人より才智が優れていないように思えるのである。柴進は他に長所は無く、ただ客好きの一節があるに過ぎない。

 

 呼延灼・盧俊義・柴進も「上中」の評価です。「上中」とは言え、盧俊義を駱駝に喩えたり、柴進を「長所が無い」と言ったり、それほど高く評価しているとは言い難いです。盧俊義については、彼の描写が「些かぼんやりしてしま」ったというのが最高評価を得られなかった理由でしょうか。もし、盧俊義の個性を十分に描き出せていたならば、彼が「人より才智が優れていないように思える」ようなことはなかったということです。

 柴進や後述の公孫勝や戴宗について、曲氏は「小説の中で一つの側面が突出し、一種の道具的作用を担っている」とし、このような人物には「中」や「下」の評価が与えられているとしています*1。柴進について言えば、「好客」という側面が作品において重要な役割を担っており、たとえ他に長所がなくとも、そのような側面はそれなりに評価されるわけです。

 

 

【43】

朱仝與雷橫、是朱仝寫得好。然兩人都是上中人物。

 

〔訳〕 朱仝と雷横では、朱仝が良く描かれている。しかし二人とも上中の人物である。

 

【44】

楊雄與石秀、是石秀寫得好。然石秀便是中上人物、楊雄竟是中下人物。

 

〔訳〕楊雄と石秀では、石秀が良く描かれている。しかし石秀は中上の人物で、楊雄は中下の人物である。

 

 朱仝と雷横、楊雄と石秀は二人一組で比較され、それぞれ朱仝・石秀がより良く描かれていると評価されます。この二組は作品中の評語でもよく比較されています。特に石秀と楊雄について言えば、楊雄の性急さが石秀の精細さを際立たせるように対比が意識されており、楊雄が「中下」とあまり評価されていないのはそのためでしょう。

 

 

【45】

公孫勝便是中上人物、備員而已。

 

 〔訳〕公孫勝は中上の人物であり、人数合わせのための者に過ぎない。

 

 公孫勝を「人数合わせ」と断言するのは非常に大胆で辛口な評価ですね。この「人数合わせ」の指すところを考えてみましたが、梁山泊108人の人数合わせ、というよりは智取生辰綱のための人数合わせといった方がまだピンとくる感じがします。この真意については保留としましょう。それにしても法術で大活躍する公孫勝に対して厳しい評価ですね。

 

 

【46】

李應只是中上人物、然也是體面上定得來、寫處全不見得。

 

 〔訳〕李応は中上の人物に過ぎない。しかし彼の(大地主としての)身分はしっかり描かれているが、その描写からは(彼の個性を)全く見て取ることはできない。

 

  【46】の解釈については、曲家源氏の解説が参考になります。

李応形象很模糊、幾乎毫無特色、金聖嘆認為”中上人物”、並且説“李応只是中上人物、然也是体面上定得来、写処全不見得。”所謂“体面”、是指李応是一個大地主、身分“高貴”、然而小説却並未用与他身分相称的筆墨去描写他。*2

 

〔訳〕李応の形象は曖昧で、ほとんど特徴がなく、金聖嘆は「中上人物」と見做し、「李応只是〜(略)」と言った。いわゆる「体面」とは、李応が大地主で、身分が「高貴」であることを指すが、しかし小説では彼の身分に相応しい文章で描写していない。

 

 

【47】

阮小二、阮小五、張橫、張順、都是中上人物、燕青是中上人物、劉唐是中上人物、徐寧、董平是中上人物。

 

 〔訳〕阮小二・阮小五・張横・張順はいずれも中上の人物、燕青は中上の人物、劉唐は中上の人物、徐寧・董平は中上の人物である。

 

 ここに挙げられている人物は全て「中上」の評価を与えられていますが、不思議なのは阮小二・阮小五・張横・張順、燕青、劉唐、徐寧・董平の4グループに分けられて論じられている点です。これが意図的に分けられたものなのか、現時点では断言できません。強いて言えば、阮小二〜張順は全て水軍を担う人物、徐寧と董平はいずれも官軍出身の人物、燕青と劉唐はどちらにも属さない人物ですので、そういう分類を念頭に置いて書かれたものなのかもしれません。いずれにせよ、更なる検証の必要がありそうです。

 

 

【48】

戴宗是中下人物、除却神行、一件不足取。

 

〔訳〕 戴宗は中下の人物であり、神行法を除けば、ひとつとして取るべきものがない。

 

 「中下」と評価されているのは戴宗ただ一人です。「中」等級とは言え、「下下」に次ぐ低評価です。曲氏の見解に基づけば、神行法の「道具的作用」は一定の評価に値するわけですが、彼が「中下」という低評価にとどまったのは「ひとつとして取るべきものがない」からでしょう(柴進の「他に長所が無い」よりも厳しいニュアンスが含まれるか)。かなり辛辣な評価です。

 

 以上のように、金聖嘆の評価の根拠には、未だ不透明な箇所も少なくなく、まだまだ検証の余地がありそうです。金聖嘆による人物評価の段はここまでで、次からはまた新しいセクションに入っていきます。今回はここまでといたしましょう。

 

ぴこ

*1:曲家源『水滸伝新論』(中国和平出版社、1995)、p.442参照。

*2:注1曲氏前掲書、p.442参照。

歴代の『水滸伝』関連資料を調べるには

 今回は中国における歴代の『水滸伝』関連資料を集めた本をご紹介します。今から紹介する本には『水滸伝』の各版本に関する資料はもちろんのこと、物語に登場する人物の史実の記録や、小説批評、戯曲や続書など、『水滸伝』に関するあらゆる記述・著作が収められています。これらは小説の成立過程、読者の受容、メディアミックスなど、あらゆる方面の研究において有益な資料ばかりです。

 今回は主なものを3冊紹介します。収められている資料について、細かく内容を説明するよりも、目次を見てもらった方がわかりやすいと思いますので、写真が少々多くはなりますが目次を全て載せようと思います(決して楽をしようとしているわけではありません、決して)。

 

 まず、『水滸伝』に関わるあらゆる資料の原文を集めてくれているのが次の2冊です。

①朱一玄・劉毓忱編『水滸伝資料彙編』(百花文芸出版社、1984〔第2版〕)

 収録資料の分量で言えばこれが最も多く、「本事編」「作者編」「版本編」「評論編」「注釈編」「影響編」の6編に分けられています。

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 ②馬蹄疾『水滸資料彙編』(中華書局、1980〔第2版〕)

  収録資料数は①には劣りますが、それでも圧巻の分量です。①と②を合わせて用いれば、歴代の関連資料はほぼ網羅できたと言えるでしょう。

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③馬蹄疾『水滸書録』(上海古籍出版社、1986)

 先の①②は共に歴代資料の原文を引いたものになります。一方で次の③は、②と同じく馬蹄疾氏が編んだ、主に版本や続書・戯曲などの関連作品の書誌情報や内容についてまとめた書籍になります(※3枚目参照)。 

 

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 今回は写真中心の紹介でしたが、こういう書物があるということを知っているかどうかが、研究の効率に大きく影響します。『水滸伝』に限らず、「〜〜彙編」という書籍は数多く存在します。こういった便利な書物はどんどん活用していきたいものです。今回も短めですがここまで。ではまた。

 

ぴこ

金聖嘆「読第五才子書法」を読む(5)

  前回に引き続き、金聖嘆「読第五才子書法」を読み進めていきます。今回はいつもに比べて少ないですが、第31〜35段を読んでいきたいと思います。

 

【31】

林冲自然是上上人物、寫得只是太狠。看他算得到、熬得住、把得牢、做得徹、都使人怕。這般人在世上、定做得事業來、然琢削元氣也不少。

 

〔訳〕林冲は当然上上の人物であり、残忍すぎる描き方をしている。彼が周到に考え、我慢し、自分自身をしっかり制御し(?)、徹底してやったというのは皆人を恐れさせる。このような人物がこの世にいたのならば、きっと事を成し遂げ、しかし気力が削られるということも少なくないだろう。

 

 林冲に対する金聖嘆の評価の一文です。「算得到、熬得住、把得牢、做得徹」という4句がそれぞれ何を指しているのか、金聖嘆は明示しておらず不明瞭です。葛成民「論金聖嘆対林冲形象的改造和評論」(烟台師範学院学報(哲社版)、1998年第3期、pp.40-42)では「算得到」とは妻・張氏と離縁したこと、「熬得住」とは護送されていたときのこと、「把得牢」とは陸虞候を殺すために尖刀を買ったこと、「做得徹」とは陸虞候ら3人と王倫を殺したことと推測しています(p.42)。

 「算得到」の解釈について、おそらくこの4句は時系列に沿って並べられていることからしておそらく囚人として過ごすことになるより前の事項で、しかも高俅らに騙されたことが「算得到」に合わないことから考えると、張氏のことを思い、離縁状を書いた林冲の行動を「算得到」とする葛氏の推測は妥当性を持つと思われます。

 「把得牢」について、「把得牢」の意をそのまま取ると「しっかり握る」となります。そこから考えて「自分自身をしっかり制御する」と解釈したわけですが、葛氏の解釈をヒントにすると、そのまま「尖刀をしっかり握っ(て殺し)た」ことの意だと言える気もします。現時点でこれが一体何を指しているのかはっきりとは分かりません。とりあえずペンディングとしたいと思います。

 

 

【32】

呉用定然是上上人物。他奸猾便與宋江一般、只是比宋江、却心地端正。

 

〔訳〕 呉用は定めて上上の人物である。彼の狡猾さは宋江と同様であるが、ただ宋江と比べて、その心根は正しい。

 

【33】

宋江是純用術數去籠絡人、呉用便明明白白驅策群力、有軍師之體。

 

〔訳〕宋江は専ら権謀術数でもって他人を籠絡するが、呉用は明らかに集団の力を駆使しており、軍師の体がある。

 

【34】

呉用宋江差處、只是呉用却肯明白説自家是智多星、宋江定要説自家志誠質朴。

 

〔訳〕 呉用宋江の違いは、ただ呉用がはっきりと自らを「智多星」と言っているのに対して、宋江は必ず自らを誠実で質朴だと言おうとする点にある。

 

【35】

宋江只道自家籠罩呉用呉用却又實實籠罩宋江。兩箇人、心裏各各自知、外面又各各只做不知、寫得眞是好看煞人。

 

〔訳〕 宋江はただ自分が呉用を制御して動かしていると言うが、呉用がかえって実は宋江を動かしているのだ。二人は、心の内ではそれぞれ分かっていながらも、表面上はそれぞれ知らないふりをしているに過ぎず、その描きぶりはまことに面白い。

 

 【32】から【35】では、宋江呉用を並べ立てて論じています。宋江には「下下」の評価を与えていますが、呉用は「上上」としており、真逆の評価となっています。【32】〜【34】の内容を簡単にまとめると、「呉用宋江は共に狡猾である。自ら『智多星』と称している呉用梁山泊の軍師として策略を巡らせているが、宋江は権謀術数で人を惑わそうとばかりしているにもかかわらず、自らを『誠実だ、素朴だ』と言っている」となります。ここでも金聖嘆は宋江の欺瞞性を批判しています。

 

 【35】については金聖嘆本第35回に次のような描写があります(【】内は夾批)。

下馬敘禮罷、花榮便道、「如何不與兄長開了枷。」宋江道、「賢弟、是甚麼話。此是國家法度、如何敢擅動。」呉學究笑道、「我知兄長的意了。這個容易、只不留兄長在山寨便了。晁頭領多時不曾得與仁兄相會、今次也正要和兄長說幾句心腹的話。略請到山寨少敘片時、便送登程。」【看他便籠罩宋江。】宋江聽了道、「只有先生便知道宋江的意。」【看他也籠罩呉用。○寫兩人互用權術相加、真是出色妙筆。】

 

〔訳(本文佐藤一郎訳、夾批拙訳)〕馬から下りて挨拶をすませると、花栄、「兄貴の枷をはずしてあげたらどうだ」しかし宋江はいった。「なんたることをいうのです。これは国のおきてだ。勝手にはずせるものか」呉学究は笑いながら、「お気持ちはよくわかりました。なんの造作もない。山へひきとめさえしなければいいのでしょう。晁のお頭が久しく兄貴とお会いしていないので、このたびはぜひ兄貴と心おきなく話をしたいとのこと。ちょっと山へおたち寄りくださって、おくつろぎください。すぐにお見送りしますよ」【彼が宋江を操っているのが見て取れる。】それを聞いて宋江も、「やっぱり先生だけあって、よくわたしの気持をお察しくださいました」【彼も呉用を操っているのが見て取れる。○二人が互いに謀略を巡らす書きぶりは、まことに優れており素晴らしい。】

 梁山泊の好漢たちは江州に護送されている宋江を救い出すため、護送役人を殺そうとするがそれでは不忠者・不孝者となってしまうからと宋江はやめさせます。花栄がせめて枷を外させようとしましたが、国の決定に背くことはできないと、宋江はそれもやめさせました。そこで呉用は、言葉巧みに宋江山寨に上らせようとします。呉用の言葉を受け、宋江は山に上ることを決めました。

 金聖嘆はここに「看他便籠罩宋江」・「看他也籠罩呉用」との夾批を加えています。つまり金聖嘆の解釈では、宋江呉用は互いに相手を思い通りに操っていると思っていることになります。呉用の目的は宋江山寨に上らせることです。一方で、宋江は自身が国の決定に背かず、刑期を全うしたいと考えています(金聖嘆から言わせると、これは宋江の本心ではなく、自身を「忠」の者と見せかけるための偽善的行為であるわけですが)。二人は自身の目的を果たすために巧みな言葉を弄しているのであって、互いに相手を自身の思い通りに動かしていると思っているのです。【35】と合わせて考えると、この時、宋江呉用の両者は互いの本心を見透かしていながら気付いていないフリをしていることになります。

 金聖嘆本の面白さは、本文だけでは知り得ない作中人物の心情を(それが作者の意図と合致しているかどうかは別として)金聖嘆が代弁してくれている点にあります。やはり評語も作品の一部なんだと思わせてくれる一例ですね。

 

 余談ですが、近々、小松謙氏の『詳注全訳水滸伝』が出版されると汲古書院から情報が出ましたね。私はこの一文を読んで飛び上がるほど驚きました。

「容與堂本」・「金聖歎本」に附された批評は、中国・日本文学に与えた影響を鑑み全文を翻訳

これは本当にすごいことです。底本は容与堂本(百回本)を使っているということですが、この本が日本の『水滸伝』批評に対する研究に及ぼす影響は大きいことでしょう。楽しみでなりません。第1巻は7月刊行予定ということで、今か今かと首を長くして待っています。(同時に、今までの記事で示した私の解釈が間違っていないかと不安になっています…笑)

 

 さて、最後に脱線してしまいましたが(興奮してしまいすみません)今回はここまでにしましょう。今回のような感じで、これからもゆっくり少しずつ読み進めていきたいと思います。ではまた。

 

ぴこ

中国の『水滸伝』研究史を知るには

 今まで私が紹介した本は、日本で出版された『水滸伝』関連図書ばかりでした。しかし当たり前ですが『水滸伝』研究が最も盛んな国は中国です。『水滸伝』を本格的に研究したいという方にとっては、日本国内の研究動向を追うだけでは不十分なのです。CNKIといった中国論文検索データベースが使える環境にある方であれば、中国の論文を検索することも可能ですが、試しに私が「水滸伝」と論文検索したところ、3711件ヒットしました。篇名(論文名)検索でこの状況ですから、水滸伝の周辺の研究を含めたら途轍もない数になりましょう。論文以外にも当然『水滸伝』を扱った研究書もあるわけで、その全てを網羅することは時間・労力的にほぼ不可能です。

 そこで便利なものが、研究の歴史、つまり「研究史」をまとめている書籍(以下、研究史本)の存在です。 研究史本というのはどの分野でも往々にして重宝されるものです。それを実感している方も少なくないのではないでしょうか。今回は中国における『水滸伝研究史に関する書物3冊を、目次を示しながらごく簡単に紹介したいと思います。

 

①許勇強・李蕊芹『《水滸伝研究史』(中国社会科学出版社、2017)

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 この本は『水滸伝』の研究史本としてはおそらく最新のものだと思われます。それ自体がこの本の最大の長所です。目次を見て分かる通り、明清―近現代―当代(前、中、後)と全5章に分けて、その時期における各方面の研究動向をまとめています。「成書研究」「評点研究」といった節の内容も章を跨いである程度は揃えられているので、例えば成書研究だけを追って読んでいくといったことも可能です。

 

 

②劉天振『水滸研究史脞論』(中国社会科学出版社、2016) 

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 この本は①の1年前に、同じく中国社会科学出版社から出版されたものです。目次を見ると、①とは異なり、各テーマごとに章が立てられています。①の「成書」や「作者」といった大きな括りではなく、内容が細分化されて目次に示されているので、知りたいテーマがあればそれをピックアップしやすい作りになっています。①よりは1年前のものですが、2016年出版ですし、内容は決して古いものではありません。

 

 

③張同勝『《水滸伝》詮釈史論』(斉魯書社、2009)

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 この本は上の2冊に比べて7、8年前に出版されたものですが、当時までの研究がよくまとめられています。内容も、作者研究や成書研究といったものではなく、作品や批評家に内在する精神・哲学、西洋思想との絡みなど、どのような思想あるいは時代背景が『水滸伝』の詮釈(=解釈)にどのような影響を与えたのかについて焦点を当てています。さらに本書は国外での研究にも目を向け、(決して多くはありませんが)紙幅を割いています。

 

 研究史本のもうひとつの醍醐味と言えばやはり「参考文献」でしょう。端的に言えば、ここにはその分野の主要な研究がまとめられているからです。研究をする上で、どの程度先行研究を網羅しているか、というのは非常に重要になります。でも物理的にこの世の全ての関連論文を読むことは不可能。だからせめて学界における主要な文献だけは読んでおきたい。その時にこの研究史本、そして参考文献一覧が役に立つのです。

 

 日本国内に関して言えば、「水滸伝研究史」と銘打ったものはほぼありませんが、高島俊男が「中国、日本をつうじて、こんにちの水滸伝研究の最先端のラインと考えていただいても大丈夫である」*1と述べた『水滸伝の世界』(大修館書店、1987〔単行本〕、のち筑摩書房、2001〔文庫版〕)及びその姉妹本『水滸伝と日本人』(大修館書店、1991〔単行本〕、のち筑摩書房、2006〔文庫版〕)が最も『水滸伝』研究を網羅的におさえた上でまとめられた本と言えるでしょう。しかしながら、これらは30年程前に出版されたものですので、当然その内容も少々古くなってしまっています(とはいえ、高島氏が当時から今に至るまでの日本における水滸伝研究に与えた影響の大きさは計り知れません)。

 もっと一般向けのものであれば、松村昂・小松謙『図解雑学 水滸伝』(ナツメ社、2005)があります。これは有名なナツメ社の図解雑学シリーズのもので、『水滸伝』のあらゆるテーマについて解説しています。一般向けと言いましたが、物語の内容から当時の社会、日本での受容などなど、その内容は幅広くかつ濃密で、正直一般書のレベルを超えています。『水滸伝』好きには垂涎の一冊でしょう。

 

 私は先行研究を読むだけで必死なので、いつか日本国内の『水滸伝研究史本が出ないかなと期待するばかりで、それを私自身が研究史として網羅的にまとめ上げるだけの力はまだまだありません。でもいつか機会があれば、そういったことにもチャレンジしていきたいと思っています。

 

ぴこ

*1:高島俊男水滸伝の世界』「あとがき」(筑摩書房、2001〔文庫版〕、p.344)参照。

金聖嘆「読第五才子書法」を読む(4)

 今回も金聖嘆の「読法」の続きを読んでいきましょう。今回は第22〜30段です。今回から内容は大きく変わり、好漢たちへの評価について述べています。金聖嘆は梁山泊の好漢たち(全員ではありませんが)を「上上」・「上中」・「中上」・「中下」・「下下」の5段階で評価しています。皆さんの推しの好漢はどのように評価されているでしょう。

 

【22】

一百八人中、定考武松上上。時遷、宋江是一流人、定考下下。

 

〔訳〕百八人の中では、武松を上上と定める。時遷、宋江は同類の人物で、下下と定める。

 

 金聖嘆は好漢の中では武松を最も評価しています。そして一方で時遷と宋江には最低評価を与えています。 

 

【23】

魯達自然是上上人物、寫得心地厚實、體格闊大。論麤鹵處、他也有些麤鹵。論精細處、他亦甚是精細。然不知何故、看來便有不及武松處。想魯達已是人中絶頂、若武松直是天神、有大段及不得處。

 

 〔訳〕魯達は当然上上の人物であり、心根は誠実で、体格はがっちりしている。粗っぽさについて言えば、粗っぽいところもあるが、注意深さについて言えば、とても注意深いところもある。しかし一体どうしてか、見れば武松には及ばないところがある。思うに魯達は人の中の絶頂であるが、武松はまさに天神であるため、大いに及ばないところがあるのだ。

 

 魯智深に対しても「上上」の評価を与えてはいますが、人が神に勝てないように、「人中絶頂」の魯智深であっても、「天神」の武松には及ばないと言います。 

 

【24】

『水滸傳』只是寫人麤鹵處、便有許多寫法。如魯達麤鹵是性急、史進麤鹵是少年任氣、李逵麤鹵是蠻、武松麤鹵是豪傑不受羈靮、阮小七麤鹵是悲憤無説處、焦挺麤鹵是氣質不好。

 

〔訳〕『水滸伝』には人の粗っぽさを描くことだけでも、多くの描き方がある。例えば、魯達の粗っぽさは性急さであり、史進の粗っぽさは若者の身勝手さであり、李逵の粗っぽさは無法さであり、武松の粗っぽさは豪傑が拘束を受けまいとするものであり、阮小七の粗っぽさは悲憤を訴える相手がいないことによるものであり、焦挺の粗っぽさは気質の悪さである*1

 

 前回の記事で「水滸伝』における性格の描き分けに対する強い意識は、金聖嘆に始まったものではありません。例えば容与堂本(百回本)第三回の李卓吾総評*2には、魯智深李逵、武松などは皆「急」な性格であるけれど、それぞれが違ったように描かれている、といった主旨の記述があり、その意識は金聖嘆に大いに影響を与えました。」と述べましたが、ここがまさにその箇所になります。解釈が難しい部分もありますが、李卓吾が「同而不同處(同じであって同じではないところ)」と言った点を、金聖嘆も強く意識していることが分かります。

 

【25】

李逵是上上人物、寫得眞是一片天眞爛熳到底、看他意思、便是山泊中一百七人、無一箇入得他眼。『孟子』「富貴不能淫、貧賤不能移、威武不能屈」正是他好批語。

 

〔訳〕李逵は上上の人物で、まことにとことん天真爛漫に描かれており、彼の胸中を見れば、梁山泊の(自分以外の)107人は、誰一人として彼の眼中にはいないのである。『孟子』の「富貴も淫する能はず、貧賤も移す能はず、威武も屈する能はず(どんなに財産や地位を与えられても心を乱さず、どんなに貧しく賤しい身分に落とされても志を変えず、どんな権力や武力でも言うことを聞かせられない)」とは、まさに彼に相応しい評語である。

 

 李逵に対しても「上上」の評価を与え、天真爛漫だと称賛します。自分の思った道を真っ直ぐに走り続ける彼の性格を、『孟子』滕文公下の一文を引いて表現しています。

 

【26】

看來作文、全要胸中先有緣故、若有緣故時、便隨手所觸、都成妙筆。若無緣故時、直是無動手處、便作得來、也是嚼蠟。

 

 〔訳〕文を作ることについて見れば、胸中にまずはその事柄がなければならず、もし事柄があるときには、手に任せて触れたものを書けばすべて素晴らしいものになる。もし事柄がないときには、まったく手を動かすことはできず、作ったとしても味気のないものになってしまう。

 

 「緣故」を「事柄」と訳しましたが、これは題目やプロットのようなもののことでしょう。物語を書き上げるというのは、作者の頭の中に既に出来ているストーリーをアウトプットすることにほかならず、頭の中で出来ていないものを無理やり絞り出しても、面白みのある作品はできないのだと金聖嘆は主張します。例えば【9】の段で「宋江の登場の場面はというと、第十七回にあり、このことから彼の胸の内では既に百遍ほどは計算をしていたことが分かる」という一文がありましたが、これも既に頭の中で計算し尽くし、構想を練り上げていたからこそ成し得たことなのです。

 

 

【27】

只如寫李逵、豈不段段都是妙絶文字、却不知正爲段段都在宋江事後、故便妙不可言。蓋作者只是痛恨宋江奸詐、故處處緊接出一段李逵樸誠來、做箇形擊。其意思自在顯宋江之惡、却不料反成李逵之妙也。此譬如刺鎗、本要殺人、反使出一身家數。

 

 〔訳〕例えば李逵を描くのに、どの段もすべて素晴らしい文章であるが、どうしてその段はすべて宋江の事柄の後ろに置かれているのだろうか。思うに作者はただひどく宋江の権詐を憎んでいるので、あちこちで素朴で誠実な李逵の話とくっつけて、宋江の権詐を)浮き彫りにする。その意図は思い通りに宋江の悪を明らかにすることにあったが、かえって図らずも李逵の素晴らしさを引き立てるのだ。これは例えば槍を刺すのと同じで、元々は人を殺そうとしているのに、かえってその者の腕前を際立たせるようなものである。

 

  金聖嘆は、李逵宋江とを連続で描き出すことで、両者の性質が際立つように設計されていると主張します。

 例えば金聖嘆本第43回、李逵は母のもとから帰還し、好漢たちに偽李逵(李鬼)と出会ったこと、母を食った虎4頭を殴り殺したことを報告します。好漢たちは偽李逵のくだりで笑い、李逵は母が食い殺されたことを報告し終わると涙を流します。しかし、ただ宋江だけは大笑いして「あんたに虎が4頭殺されて、今日はこの山寨に生きた虎(青眼虎李雲と笑面虎朱富)が2頭増えたという勘定だな。まことにめでたい」と言います。この場面では、母の死を悲しむ李逵と、それを大笑いする宋江とを対照的に描かれているのです。ここに金聖嘆は夾批を附していますが、その内容は宋江を貶すものばかりです。

 

 しかしながら実際、百二十回本のこの場面では、李逵の涙は描かれず、「あんたに〜」のセリフも宋江晁蓋の二人が笑って言っていたことになっています。つまり、【27】については、宋江を攻撃し、李逵を称賛したい金聖嘆自身の強い意識に基づいたものなのです。

 

 

【28】

近世不知何人、不曉此意、却節出李逵事來、另作一冊、題曰『壽張文集』、可謂咬人屎撅、不是好狗。

 

 〔訳〕近頃は誰かは知らないが、この意図を理解せずに、かえって李逵の話だけを抜き出して、別に一冊を作り、『寿張文集』と題しているが、まさに人の糞を食らう碌でもないものである。

 

 『水滸伝』における李逵は物語を攪乱しながら展開させる、まさにトリックスター的存在と言えます*3。物語全体における李逵のその役割を理解していない者が、李逵の一部の話を切り取って本にまとめていることに対して金聖嘆は憤っています。『寿張文集』とは、明らかに李逵が寿張県の知県に扮し、裁判の真似事をした話に基づいています。書名を明示しているにも拘らず、誰がこれを作ったのか明言は避けていますが、ここで金聖嘆が批判しているのは明らかに李卓吾(あるいは李卓吾に偽託した人物)です。というのも、容与堂本の冒頭に置かれている「批評水滸伝述語」という文章に次のような一節があるからです。

和尚讀水滸傳、第一當意黑旋風李逵、謂爲梁山泊第一活佛、特爲手訂壽張縣令黑旋風集。

 

〔訳〕和尚李卓吾は『水滸伝』を読み、黒旋風李逵を最も気に入り、彼を梁山泊第一の生き仏だと考えて、わざわざ手ずから『寿張県令黒旋風集』を校訂した。

 

 以前の記事でも触れたことがありますが、李卓吾は『水滸伝』における「忠義」を高く評価している一方で、金聖嘆は梁山泊の「忠義」を真っ向から否定しています。このように金聖嘆は時折李卓吾を強く意識し、名前は挙げないながらも大いに対抗しています*4

 

 

【29】

李逵色色絶倒、眞是化工肖物之筆、他都不必具論。只如逵還有兄李達、便定然排行第二也、他却偏要一生自叫李大、直等急切中移名換姓時、反稱作李二。謂之乖覺、試想他肚裏、是何等沒分曉。

 

 〔訳〕李逵を描いているものがどれも皆素晴らしいのは、まさに造物主が物を象るような筆使いであり、それらを詳しく論じるには及ばない。例えば李逵にはまだ兄の李達がいて、きっと排行は二番目であろうが、彼はことさら一生自らを「李大」と呼びたがっている。しかし差し迫った状況で姓名を変える際には、かえって「李二」と称している。これは利口だと言えよう。試しに彼の腹中を探ってみても、何もはっきりとしない。

 

  李逵は第38回(金聖嘆本第37回)で登場してから、多くの人物に「李大哥」と呼ばれています(きっとそう呼ばせていたのでしょう)。しかし、第53回(金聖嘆本第52回) で羅真人に懲らしめられ、馬知府から「妖人」との嫌疑をかけられて追い詰められた李逵は、やむなく「妖人李二」と嘘の自白をします。「彼の腹中を探ってみても、何もはっきりとしない」というのは、李逵に何か意図や思惑があったというのではないといった意味でしょうが、そうすると「乖覺(利口だ、賢い)」という語がいまいちしっくりきません。李逵には実際には兄がいるのですから、切羽詰まった状況で思わず素の部分が出てしまい「李二」と言ったというのであれば、一体どのあたりが「乖覺」なのでしょうか。「乖覺」と言うからには、何か機転を利かせて「李二」と言ったということでしょうが、金聖嘆は「何もはっきりとしない」と言っています。この段を正確に理解するにはもう少し考える必要がありそうです。

 

 

【30】

任是眞正大豪傑好男子、也還有時將銀子買得他心肯、獨有李逵、便銀子也買他不得、須要等他自肯、眞又是一樣人。

 

 〔訳〕たとえまことの大豪傑や好漢であっても、時には銀子によって心まで買収されてしまうこともある。ただ李逵だけは、銀子であっても買うことはできず、彼自身が承知するのを待たねばならないというのは、まことに(終始徹底して)同じように描かれた人物である。

 

 この点は、【25】で引かれていた『孟子』の一節からして分かりやすいかと思います。李逵は、それが一般的な行動規範に合うかは別として、基本的に自身の信条に沿うのかどうか、自分が納得できるかどうか、自分がしたいことかどうかを基準として行動しています。天真爛漫と評される李逵は、その点において徹底して一貫した人物なのです。

 

 さて、今回はここまでです。なかなか終わりが見えませんが、頑張って読んでいきましょう。

 

ぴこ 

 

*1:この箇所の解釈については、呉正嵐『金聖嘆評伝』(南京大学出版社、2006、pp.311-314)が詳しいです。

*2:容与堂本第3回総評原文「李和尚曰、描寫魯智深、千古若活、眞是傳神寫照妙手。且水滸傳文字妙絶千古、全在同而不同處有辨。如魯智深李逵、武松、阮小七、石秀、呼延灼、劉唐等、衆人都是急性的。渠形容刻畫來、各有派頭、各有光景、各有家數、各有身分、一毫不差、半些不混、讀去自有分辨、不必見其姓名、一睹事實就知某人某人也。讀者亦以爲然乎。讀者即不以爲然、李卓老自以爲然不易也。」

*3:井波律子『トリックスター群像』(筑摩書房、2007)など参照。

*4:金聖嘆が李卓吾批評を強く意識していた点については、例えば小松謙『「四大奇書」の研究』(汲古書院、2010)「第三部第一章 『水滸傳』成立考――内容面からのアプローチ――」、竹下咲子「金聖歎批評の源流を探る――百二十回本『水滸傳』李卓吾批評を中心に――」(『和漢語文研究』第7号、pp.79-92、2009-11)などで触れられています。

金聖嘆「読第五才子書法」を読む(3)

 前回に引き続き金聖嘆「読第五才子書法」を読み進めていきましょう。今回は第12〜21段です。

 

【12】

 三箇「石碣」字、是一部『水滸傳』大段落。

 

〔訳〕三つの「石碣」の字は、『水滸伝』の重大な段落である。

 

 「石碣」とは石碑のことです。金聖嘆本で「石碣」が登場するのは、楔子・第14回・第70回の3箇所です。楔子では洪信が掘り起こした伏魔殿の石碑を、第14回では呉用が三阮を仲間に引き入れた村の名「石碣村」を、第70回では108人の好漢の名が刻み込まれている石碑を指しています。楔子は物語の始まり、第14回は好漢たちの集結のきっかけ、第70回は物語の結末という点で重要な場面だと見なされているのです。

 楔子で石碑が登場した際に、金聖嘆は「一部大書七十回、以石碣起、以石碣止、奇絶(この大書の全70回は、『石碣』に始まり、『石碣』に終わる、素晴らしい)」という夾批を附しています。金聖嘆が物語の構造にかなり敏感であることは、前回も触れましたし、今後の段落の内容からも明らかです。

 またここに「碣字俗本訛作碑字(『碣』の字は俗本では『碑』の字に誤る)」という評語もあります。「俗本」つまり百二十回本の第1・15・71回のテキストを確認すると、第15・71回では「石碣」となっていますが、第1回だけは「石碑」となっています。この「石碑→石碣」の改変は、金聖嘆の構造に対する意識が文字一字のレベルに至るほど緻密だということを表しています。ここでは三つの場面の記載を「石碣」に統一することで、これらの場面が呼応していることを強調しようとしているのです。

 

 

【13】

『水滸傳』不說鬼神怪異之事、是他氣力過人處。『西遊記』每到弄不來時、便是南海觀音救了。

 

〔訳〕『水滸伝』が鬼神怪異の事柄を述べないのは、彼の気力が人より勝っているところである。『西遊記』ではどうしようもなくなった時は毎回、南海観音が救い出してしまうのである。

 

 『水滸伝』では(公孫勝や羅真人らの法術は抜きにして)基本的には鬼神怪異の事柄を扱うことはありません。一方で『西遊記』では、最終的には南海観音に頼ってばかりいる、というのが彼の主張です。『西遊記』の非現実性・荒唐無稽さへの批判はここにも表れています(【6】参照)。

 

 

【14】

 『水滸傳』並無之乎者也等字、一樣人、便還他一樣說話、眞是絕奇本事。

 

〔訳〕『水滸伝』は全体を通して堅苦しい言い回しは無く、同じ人には同じように話している。これはまさに作者の素晴らしい腕前である。

 

 「之乎者也」というのは堅苦しい言い回しといった意味です。作中人物ひとりひとりにその人物に相応しい話し方をさせていることを金聖嘆は絶賛しています。話す態度や言葉遣いなど、その人らしい話し方を描き出すことができれば、人物たちはより生き生きと動き出し、自然と堅苦しい文体ではなくなる、といったことをここでは言っているのでしょう。

 

 

【15】

『水滸傳』一箇人出來、分明便是一篇列傳。至於中間事蹟、又逐段自成文字。亦有兩三卷成一篇者、亦有五六句成一篇者。

 

〔訳〕『水滸伝』ではある人が登場すれば、明らかに一篇の列伝となる。列伝の中の事柄においても、話が進むごとに自然と文章ができていく。また二、三巻で一篇の列伝をなすものもあれば、五、六句で一篇の列伝をなすものもある。

 

 『水滸伝』がよく『史記』と比較されることは以前も述べました。金聖嘆はここでさらに物語中のひとりひとりの小さなストーリーを「列伝」と表現しています。『水滸伝』は豪傑たちの「列伝」が繋がり合って出来上がっているというわけです。

 

 

【16】

別一部書、看過一遍即休。獨有『水滸傳』、只是看不厭。無非爲把一百八箇人性格、都寫出來。

 

〔訳〕他の書物では、一回読み終わると(飽きて)すぐに読む手が止まってしまう。ただ『水滸伝』だけは、読み飽きることはないのである。(これは)彼が百八人の性格を、全て描き出しているからなのである。

 

【17】

『水滸傳』寫一百八箇人性格、眞是一百八樣。若別一部書、任他寫一千箇人、也是一樣、便只寫得兩箇人、也只是一樣。

 

〔訳〕『水滸伝』の百八人の性格を描写する様は、まことに百八様である。他の書物では、たとえ千人を描いたとしても、ただ一様であって、たとえたった二人を描いたとしても、またただ一様になってしまうのである。

 

 【16】と【17】では、人物の性格描写について述べています。性格描写というのは、金聖嘆が特に力を尽くしたことのひとつです。ここでは「まことに百八様である」と述べていますが、彼のこの意識は好漢だけに向けられたものではありません。高俅のような奸臣は奸臣らしく、潘金蓮のような淫婦は淫婦らしく、王婆のような遣り手婆は遣り手婆らしくといったように、作中に登場するあらゆる人物に向けられています。

 『水滸伝』における性格の描き分けに対する強い意識は、金聖嘆に始まったものではありません。例えば容与堂本(百回本)第三回の李卓吾総評には、魯智深李逵、武松などは皆「急」な性格であるけれど、それぞれが違ったように描かれている、といった主旨の記述があり*1、その意識は金聖嘆に大いに影響を与えました。

 

 

【18】

『水滸傳』章有章法、句有句法、字有字法、人家子弟稍識字、便當教令反覆細看、看得『水滸傳』出時、他書便如破竹。

 

〔訳〕『水滸伝』では章には章法があり、句には句法があり、字には字法がある。人の子弟は少しでも字を知っているならば、繰り返し精読させるべきである。そうすれば『水滸伝』を読み通した後には、彼は破竹の勢いで文章を書くことができるだろう。

 

【19】

江州城劫法塲一篇、奇絕了、後面却又有大名府劫法塲一篇、一發奇絕。潘金蓮偷漢一篇、奇絕了、後面却又有潘巧雲偷漢一篇、一發奇絕。景陽岡打虎一篇、奇絕了、後面却又有沂水縣殺虎一篇、一發奇絕。眞正其才如海。

 

〔訳〕江州城での刑場荒らしの一篇は素晴らしく、その後にある大名府での刑場荒らしの一篇も一層素晴らしい。潘金蓮の姦通の一篇は素晴らしく、その後にある潘巧雲の姦通の一篇も一層素晴らしい。景陽岡で虎を打つ一篇は素晴らしく、その後にある沂水県で虎を殺す一篇も一層素晴らしい。その才能はまさに海のように広大で深い。

 

【20】

劫法塲、偷漢、打虎、都是極難題目、直是沒有下筆處、他篇不怕、定要寫出兩篇。

 

〔訳〕刑場荒らし、姦通、虎を打つ、というのはいずれも極めて難しい主題であり、まさに書きようがないものであるが、彼(施耐庵)は恐れることなく、必ず二篇を書き上げた。

 

 【18】では、作品創作における作文法について述べています。「章法」とは全体や個々の物語内の段落レベルの技法、「句法」とは文レベルの技法、「字法」とは文字レベルの技法のことを指します。

 【19】・【20】で述べられているのは、「章法」の一例です。刑場荒らし・姦通・虎を打つという3種類のテーマについてのストーリーが、『水滸伝』ではそれぞれ二度描かれています。刑場荒らしは、江州城で宋江・戴宗を救い出した場面と、大名府で盧俊義・石秀を救い出した場面。姦通は、潘金蓮西門慶、潘巧雲と裴如海の二場面。打虎は、景陽岡で武松が虎を打ち殺した場面と、沂水県で李逵が母を食べた虎を打ち殺した場面。金聖嘆が言う「章法」には、これらのような類似したストーリーが繰り返されているものも含まれ、その素晴らしさを称賛します(実際には金聖嘆自身が手を加え、「これは章法だ!」としたものもありますが・・・)。先の【12】の「石碣」の呼応も、「章法」の一種です。「章法」には、金聖嘆の作品構成に対する強い眼差しが大いに反映されていると言えるでしょう。

 

【21】

『宣和遺事』具載三十六人姓名、可見三十六人是實有。只是七十回中許多事蹟、須知都是作書人憑空造謊出來。如今却因讀此七十回、反把三十六箇人物都認得了。任憑提起一箇、都似舊時熟識、文字有氣力如此。

 

〔訳〕『大宋宣和遺事』は詳細に三十六人の姓名を記載しているので、三十六人が実在したことがわかる。しかし、七十回中の多くの事跡は、全て根拠が無く捏造したものであることをわかっておくべきである。しかし今はこの七十回を読むことによって、三十六人の人物を皆認識することができる。たとえそのうちの一人だけを取り出したとしても、それらは皆まるで古くからよく知った馴染みのようである。文章にはこのように気力が備わっているのである。 

 

 【21】では『水滸伝』中のストーリーの多くはすべて作者によって創作されたものだと強調します。七十回本を読んだ読者は、登場人物のひとりひとりがどんな人物で何をしたのか、まるで昔馴染みのように把握しており、それは『水滸伝』の文章には「気力」が備わっているからだと金聖嘆は言います。「『気力』が備わっている」というのは少々抽象的な表現ですが、要するに作者の才能が発揮されているといったことでしょう。史実に沿ったストーリーであれば、読者には理解を助けるような予備知識もあるでしょう。しかしながら、ほぼ完全に創作されたストーリーにも拘らず、読者が作中人物の事跡や性格をしっかりと把握できるのは、作品構成や表現力が非常に卓越し、成功しているからにほかならず、それはひとえに作者の優れた才能によるものなのです。

 

 さて、今回はここまで。今後も少しずつ読んでいきましょう。

 

ぴこ

 

*1:容与堂本の評語は李卓吾自身の手によるものではなく、李卓吾に偽託して書かれたものと考えられていますので注意が必要です。